ニューヨークの中心となるハドソン川とイーストリヴァーとに挟まれた島、マンハッタンで一番 有名なジャズ・クラブは?と聞かれたら、誰もが "ヴレッジ・ヴァンガード" と答えるだろうが、 ダウンタウン地区のアパート街として知られるグリニッチ・ヴレッジに存在している。 一方、 "ハーフ・ノート" は同じダウンタウン地区のソーホーと呼ばれる区域でスプリング通りと ハドソン通りの交差した角、ここはグリニッチ・ヴレッジの中でも隔てられた区域で倉庫と無蓋貨 車の中に埋もれるようにこじんまりした場所ににあった。 オーナーはイタリア人で、ピザ、スパゲティ、それに名物のミート・ボールを売り物にファミリー で1957年にオープンし、72年10月まで営業したあと西54丁目ストリートに移転、74年まで続いたと いう。 (ちなみに現在オーナーはこの "ハーフ・ノート" のあった東筋向かいに "ジャズ・ギャラ リ" を営業しているそうです。)  ウェスが最初に出演したのは "モンゴメリ・ブラザーズ" として1960年の11月という記録がある が、レイモンド・ロスの写真を観ても判るようにバー・カウンターを改造した狭っ苦しいステージ によくもまあ、楽器とミュージシャンが押し上げられているな、という感じである。  《スモール・グループ・レコーディング》のアルバムでライナー・ノーツを書いているクリス・ アルバートソンは、「私が1960年の秋の夜にウェスを初めて聴きに行ったのが "ハーフ・ノート" だった。ここは両側からも観れる小さなステージとバーで区切られた薄暗い所であったが、オー ナーは美味しいスパゲティと陽気なジャズを提供してくれるイタリア人ファミリーで、居心地のよ い店だった。 外は激しい雨にも拘わらず、中では不運にもバディ・モンゴメリが急病のため、代わりの人を捜し ており最後のほうにピアニストのビリィ・テイラーが出演した。 誰も文句を言わなかったが、私は今までいろいろな場所でビリィを聴いたことがあるがあの夜のプ レイ程最高だったものはなかっただろうと思う。 僅か10人〜15人ぐらいのオーディエンスの中には、ニューヨーク・タイムスのジョン・ウィルソン もいたがウェスの親指がみんなを震撼させたあの晩のことだよ。」  ウェスとビリィの出会いはこんなにも早かったとは思いもしなかったが、64年の《ネイヴィ・ス ウィングス》でのラジオ・セッションもこんなところにきっかけがあったのですね。発見!! ひとつ気になるのですが、パシフィック・レコードにある2枚のレコード覚えていますか。 Montgomeryland/Pacific Jazz PJ-5Wes Buddy & Monk Montgomery/Pacific Jazz PJ-17 右側の《ウェス・バディ・アンド・モンゴメリ》 のレコードは1961年にリリースされているが、こ の風景がどうも "ハーフ・ノート" のある地区で はないかと思うのです。 今は画廊や屋根裏(ロフト)アーティストの集まる 街に変わっているそうです。