The Verve Jazz Sides/Wes Montgomery/Verve 314 521 690-2
アルバム名 : The Verve Jazz Sides/Wes Montgomery
アルバム番号: Verve 314 521 690-2
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 4/1995
メディア  : CD


Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Paul Chambers(b) Jimmy Cobb(dr)
                                                B'Cast, "Half Note", N.Y.C.; Jun.25,1965
          Surry With The Fringe On Top        [5:20]  [6:12]  
          note: from 《Willow Weep For Me/Verve V6-8765》
                original from reconstructed version 


 ここまで《ウィロウ・・・》に関するケリィのソロがカットされた【事情あり】テープのことを 色々と説明してきたが、本アルバムで1曲だがやっとオリジナル・フォームでリリースされた。 これを聴いていただければ解ると思うが、ヴァーヴのした行為がいかに正しくなかったか、またそ の事情も解っていただいたと思う。 それにしても、本アルバムでこの〈飾りのついた四輪馬車〉の完全復元ヴァージョンがリリースで きたなと思うのですが、どうせなら全ての曲を聴かせて欲しかったという感じですね。 やっぱりヴァーヴは中途半端なんですよ。
曲 名Willow Weep/
V6-8765
Small Group/
VE-2-2513
Smokin' Vol.2/
J28J 25117
Jazz Sides/
314 521 690-2
Willow Weep For Me  7:42  7:42  7:36(MC)  7:35
Impressions  5:01  5:01    5:02  5:03
Portrait Of Jennie  2:45  2:45  2:56(MC)  2:45
Surrey With The Fringe On Top  5:20   5:32(MC)  6:12(MC)
Oh! You Crazy Moon  5:27   5:35(MC)  5:19
Four On Six  9:29     9:29  9:30
Misty  6:45  6:45  7:00(MC)  6:40

赤数字演奏時間はクラウス・オガーマンの編曲指揮がかぶさったもので、本アルバムでは 桃数字演奏時間の〈飾りのついた四輪馬車〉がオリジナル・フォームで挿入された。

 本アルバム・ライナー・ノーツで《スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート》についての記事 が書かれているので紹介する。 《スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート》はウィントン・ケリィ・トリオとウェス・モンゴメ リによって演じられた最も素晴らしいジャズ・ギター・アルバムであり【マルチ・グラミ賞】を受 賞したギタリストで作曲家のパット・メセニーにプレイする興味を与えたレコードでもあった。 ドラムスのジミー・コブはこのアルバムに参加したクウォーテット唯一の生き残りメンバーであり メジャーなジャズ・ギタリスト、ジム・ホールすらの賛辞を思い出した。 彼は、「これこそギター・プレイアーのための完全なアルバムと完璧なリズムセ・クションであっ た」と言う。 ガンサー・シュラーは現存しないジャズ・レヴュー(1959年9月)でウェスへの賛辞を綴った。 「プレイするに困難なオクターヴ奏法(その功績は1935年にジャンゴ・ラインハルトが考案)はウ ェスが初めに演ったものではなかったが、リスナーに決定的な印象を与えたのは確かなことだ。 彼は独学のミュージシャンとして、そのことが不可能なテクニックであることを知らなかったから こそ、完成させることができたと思っている。」 シュラーによる賛辞の35年後に、メセニーはウェスの永久的なギター・ヒーローについてこれら の洞察を述べてくれた。 「マイルスとコルトレーンが現われた後、ドラマーとベーシストがどちらかと言えばさらにそのこ とで足を引っ張っていたと思う。 というのはホーン・プレイアーがそうであったように、多くのギター・プレイアーのモダン・リズ ム・セクションの挑戦に対して本当にリードしていなかったということなんだ。 常にその点で他のインストゥルメンツの陰で虐げられてきたギターではあったが、ウェスは優れた 才能で彼自身がドラマーのようにどちらかと言えばリズミカルにプレイしていたと思う。」 彼の無類のプレイについてはある物語のような流れがあった。 彼の素晴らしい時期、そのサウンドはパーフェクトな鑑賞力を持ち、信じがたい威厳と平静さで、 趣味が良く、実に上手かったね。 しかも、A&Mでそれを覆すような環境に持って来られても、音楽的には素晴らしかったが、それ も優雅な音楽的なジェスチャー以外の何ものも必要としなかったのだから。 それで、ウィントン・ケリィ、ポール・チェンバースとジミー・コブにウェスを加えた時、本当に 奨めることができるライヴとして、私が話をしている重要性とそのすべての精神が意味するもので 今までに最も偉大なジャズ・ギター・レコードであるものを手に入れた。 このアルバムはモンゴメリの11年間のディスコグラフィ上で、ワーキング・バンドとして最後にレ コーディングされた "ストレイト・アヘッド "なアイテムで構成されていた。 ジャズ・ファンたちがチャーリー・パーカー以後のコンボ編成に注目しているのは、キャノンボー ル・アダレイ、アート・ブレイキ、クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ、アル・コーン& ズート・シムス、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、チャールズ・ミンガス、セロニア ス・モンク、オスカー・ピーターソン(ドラムスのエド・シグペン)、ホレス・シルヴァーのよう なリーダーの名前を述べた。 ウェス・モンゴメリとウィントン・ケリィ・トリオは確かにこの英雄に属する。」 次にコブが語ってくれた。 「我々は、カリフォルニアから東部へのクラブ・ツアーとして、3〜4カ月間ウェスと一緒にワー キング・バンドとして演っただけで、65年以降は再び彼と共に組まなかった。 私は彼の兄弟が戻るように迫ったと今でも思っている。」 ウェスが楽しんでいたもので、我々が行ったところはどこも "スーパー・8ミリムーヴィ" を撮っ て、彼がインディアナポリスに戻ったとき、子供たちに観せていたようだ。 彼が若かったときの約10年間は家族の面倒をみるため1日に3つの仕事をこなしていた。 それら総てのストレスを推測すると、心臓病を患った大きな原因ではあったが、ヘビー・スモーカ ーは唯一の悪徳であった。 彼は読むことができなかったという理由で、多分楽譜については話をしはしなかっけれど、音感に ついては素晴らしい耳を持っていた。」 コブはリズム・セクションの仲間や旧友のことについても語ってくれた。 「私が21歳のとき、アルト奏者のアール・ボスティックのバンドで、とても優しい男ウィントンに 会った。 ウィントンはダイナ・ワシントンの伴奏をしていたが、ベーシストにキーター・ベッツが加わった とき僕も彼女のためにプレイすることになったが、それが最初のトリオ結成であった。 ウィントンは面白い男だった。それが彼の故郷でプレーすることができたから、彼をブルックリン 市長と呼んだものだったよ。 そして彼はそのクラブで非常に人気が高くて、観客にカクテルをおごるためすべての金を使ってい た。[笑い] 我々のトリオはだんだん良くなって、ウィントンにもましてそのクラブが好きになった。 多分ウィントンが37歳の頃、突然発作を持ち始めたが、それが彼の死因であったと思う。 彼はポール・チェンバースの死因に起こったことと同じということを常に心配していた。」 ウィントン・ケリィ・バンドが残した音楽とは若者たちの心をぎゅっと掴み、そのフィーリングと スウィング感の全てを伝えるものである。