黄金の華の秘密

黄金の華の秘密








 太 乙
  金 華
  宗 旨



 第一  天心 (1)

第一  天心 (1)



呂祖曰。


自然曰道。 


道無名相。


一性而已。


一元神而已。 


性命不可見。 


寄之天光。 


天光不可見。 


寄之兩目。





呂祖師はいう。 


自らる(そうなる)ことを、という。


道には、づける(相対)もない。


一なる(内に生じるもの)があるのみ。


一なる元神 (電磁的力のはじまるもと・ 二極未分離の○的状態)があるのみ。

性のは見ることができない。 


これをせたのが(脳天)のだ。


天の光も見ることができない。 


これを寄せたのがの目だ。




































燃の原字で「火+〔厭−厂〕(犬の脂肪)」で、脂を火でもやすこと。 (自らの身を燃やしてゆくこと・内なる燃焼→なるべくしてなる自然)

 「(足の動作)+首(あたま)」で、首を向けて進みいくみち。

 「夕(三日月)+口」で、薄闇の中で自分の存在を声で告げること。

 「木+目」で、木を対象において目でみること。(むきあう関係) 

「心+生(地上に生え出る芽)」で、中にひそむもの(外形のもと)。
 →うまれつきの心、その作用。

 「兀(人体)+上にまるい・印」で、人間のまるい頭。→はじまり。

 「示+申(稲妻の伸びる姿)」で、稲妻のよう(電磁的)な顕現。
不可知な自然の力。→不思議な力・目に見えぬ心の働き。

 「令〔△(A)印(覆いの下に集める)+人(ひざまずく姿)〕+口」で、神や君の勅令(お告げ)を受ける器である口で同時に外に表す。 
→天からの使命・運命→いのち (Aは自然の合わさる三つの力)

 「宀(いえ)+奇〔口(器)+それ以外(曲刀)〕」で、祝とうの成就を責め求める。(一つ屋根の下に、陰・受動・吸収+陽・能動・放射)

 「大(人)+ー印(頭上部の高く平らな部分)」で、頭上の大空。 
人の巓頂(てんちょう)・脳天。 

「人が頭上に火を載せた姿」を示す。→四方に発する輝き・明。

 「左右両方が対をなして平均したはかり」の象形。

 


自然  わたしたちは、あまりに当たり前のようにして「しぜん」というものを概念づけているものだが、はて、それはいったいいかなるものだろう。「自ずと然る」というニュアンスとして意識的に感じているだろうか?通常、外界にも内界にも「自然」をあてはめたりするが、外から認識することのできる「道」もあるというのだろうか?もし「自ら然ることを道という」とするのなら、そこには「外」という概念が入り込む余地はなさそうだが・・・。ユングなどによる翻訳では「それ自身によって存在するもの」としている。ところで、「然」に一種の「燃焼」を暗示する意が込められているが、その「存在」に瞬間毎の「火」によって「変化しているもの」として体感がともなっているだろうか?

無名相  一般的解釈のように「道には名前も相(形態)もない」…と、「道」を最低限定義付けたなら、このようなものだという「形容」をしただけだろうか?「無名相」の示すところ…「道」という客体が「形態」以前の「名前のない非物質」とでもいわんばかりのことだろうか。何か微妙に違うような気がする。それは主も客もない主客未分離の「無相」状態ゆえに「名前」が介在しようもない…そんな何かを示唆しているのではないだろうか・・・

一性  道を求める人々にとっての「一」とは、「多」との比較においてばかりでなく、総体的・絶対的なものとして掲げることも少なくない。さて、「一性」「一つの本性」などと軽々しく片付けることのできるようなことだろうか?限りなく「ゼロ(無・ない)」に近く、しかもただ「ある」としか表現できないような「一」だとしたら、その「内に生じる」という「性」とはいったいいかなるものだろう。

一元神  「神」という概念ほど厄介なものはない。むろん西洋の概念とは違う「精神、神経」などと使う「神(しん)」の意味としても。「元」の意味を含めて、補足的な象徴として「○(丸)」のイメージと、「電磁的力のはじまるもと・ 二極未分離の状態」と言葉をあてがってはみたものの・・・




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