オヤジの日々雑感
◆はじめに・・・
以前、オヤジコラムの項を設けていたが、結局1年1本ペースに終わった。
これはイカンと、今年初めにページ構成をマイナーチェンジした時に「日々雑感」という項目を特段ビジョンも無く作ったが、さてさてどんなコンテンツにするやら、さっぱりアイデアが湧かないまま、半年が過ぎた。いくら、仕込中といっても、半年以上も仕込んでいたら仕込むだけで腐ってしまう。そこで観念して始めることにした。
勿論、日記のごとく毎日なんぞは無理だと判っているから、無理なことはするつもりは無いが、やるからには自分自身にノルマを課さなければ、三日坊主になってしまう。
ということで、最低週1本というところから始めよう。
付け足し易いように、今後は、画面上で日付が遡るカタチになる。即ち、このすぐ下が最新の雑感である。
2000年12月16日(土)
久しぶりにキツい二日酔い。
前日、前前日と得意先の接待が続いた。得意先をお帰しして自分達もすぐ帰ることができないのが、オヤジの悪いくせ。結局、連日その後に飲んだツケか、胃が朝からムカムカしっぱなし。おまけに、唇がバリバリに乾いて荒れている。唇はほんとに胃の調子を端的に報せてくれる。さすがに今日は、晩酌もしなかった。
得意先からそろそろA社の発泡酒の話が聞こえてくる。昔の名前で出ています。「×生」としておこう。海洋深層水を使っていて、どうも淡麗よりも美味いらしい。3年前、キリンが発泡酒に3番手で参入する時、その本気感を「麒麟」と漢字大書きのパッケージで表現し、大麦で麦芽比率が少ない旨味成分の不足を補って、その時点の既存商品以上にビールに味覚を近づけ、御客様の絶大なるご支持を頂戴した。
A社もビールカテゴリーのトップメーカーとして、4番手で最後に参入する以上、「本気感」がキーワードだったのだろう。ただ、美味い発泡酒に仕上げれば仕上げるほど、スーパードライと味覚は近似し、膨大なカニバリは避けられないに違いない。それでも、やらねばならぬ。ここ10数年では初めて、相手が土俵に載ってくる。おまけに淡麗より美味いというバイヤーの評価。これは楽しみだ。
2000年12月8日(金)
仕事上の権限が、単に「役割」であることを忘れ、持ち得る権限と自分の人間的価値を混同してしまっているとしたら、お気の毒なことである。
誰とは言えない。これが「営業」のつらいところ。まさに「お客様は神様」なのだ。だからといって、短絡的に得意先ってことではない。社内外問わず、こういう誤解に気付かない気の毒な方が、事実結構な数でいらっしゃるのだ。オヤジも最近、その種の方と接する機会が多くなり、切実に感じざるをえない。
ほんと気の毒。肩書き取ったらタダの人。タダならまだまし、誰も相手にしなくなる・・・
2000年12月2日(土)
幼稚園での音楽会のダブルヘッダーだった。オヤジが所属する芦屋交響楽団が市の公認団体である義務としてのボランティア活動である。前日の飲み過ぎと寝不足という悪コンディションであったが、子供たちの純粋な興味と感動、それがアリアリと読み取れる表情に、むしろオヤジの方が感動させていただいた。
それにしても、彼らたちがその成長とともに、その純粋さを失っていくのは果して何に、あるいは誰に起因しているものなのだろう。そして、それが果して「成長」と言えるのだろうか。清々しさと裏腹に暗澹たる想いにかられるのは、オヤジだけではあるまい。
2000年11月26日(日)
23日に、こちらに来て初めて、家族で六甲に歩いて登った。といっても、ほんの入り口までのハイキングだったが。
街中から20分程、坂道を登って行くだけで、自然の山中に入り込む。これが阪神間、特に芦屋の魅力かもしれない。街中から同じ時間で海にも出れる。勿論、同じ時間で電車を使えば、大阪、神戸といった都会にも出られる。
さて、芦屋には街中にもイノシシ注意の看板があるが、今回、まさにイノシシに出くわした。一応、餌付けされているらしいが、野生は野生である。街中ではタヌキやイタチにはお目にかかっているが、さすがにイノシシは初めてだった。弁当の食べガラの匂いに惹かれてきたらしい。しばし、我が家族とイノシシ君との睨み合いが続いたが、性質の良いイノシシ君だったのが幸いし、イノシシ君はまた山の中に消えていった。さすがに動物園で見るものとは凄みが違う。やはり、生きる力が漲っているとでも言おうか。正直、睨み合っている時は恐かった。ま、後になって考えてみれば、これも芦屋の魅力の一つかもしれない。
2000年11月22日(水)
所詮、官僚出身の限界なのか、加藤紘一はでかい口たたいただけ、己の首を締めてしまった。たとえ、一人で切り込んで犬死になっても、今よりは世の中に何かしらの影響を与え、名を残せたかもしれないのに、まさに生き恥さらすとは今の加藤紘一のこと。
最後に犠牲を恐れていては、「決起」とはとても言えない。愚衆かもしれないが、国民という集団はそれなりにシビアに観ているのだ。「判官びいき」の民族性である。傷だらけになっても、何とかしなければという本気感を期待する空気が世論にも感じられただけに、この腰砕けは惜しまれるし、悲しくもある。
それにしても、ヤジにまともに反応するなんぞアマチュアもアマチュア、今更ながらプロの政治家が輩出されないことに暗澹とした気持ちになる。勿論、そういった見分けも付けられない愚衆の一人として、自戒するに止まっていることも事実。せめて限られた候補者の中から、よりプロの政治家を選ぶべく眼力を養い、参政権をキチっと行使していかなければと思う。
2000年11月19日(日)
1週間空いたようだが、政局が混乱している時に、発泡酒増税か?!という愚挙に直面し、トップページで2回ばかり吠えたので、それもカウントのうち。商品の売れ行きを見ながら、5年も経たないうちでの短期間での税率改定は、どうみても場当たり的であり、企業の経営努力を食い物にした「ヒモ」的発想だ。おまけに酒税に消費税がかけられている「2重課税」には口をつぐんだまま。全くヒドイ。是非、これを読まれている方で、趣旨に賛同していただける方は、「発泡酒増税反対!」の署名活動へのご協力をお願いしたい。
さて、昨日無事?40歳の誕生日を迎え、かねてから計画していた A TURNING POINT CONCERT をやった。50名余のお客様がご来場いただいたが、オヤジの不手際で多くの方が会場にスンナリと到着できずに、開演も15分押しとなった。ただ、演奏の方は、手前ミソながら、いつもどおりの練習不足の割りには、それなりの出来だったと思う。そうはいいながら、録音を改めて冷静に聴くと、ボロボロ。やはり、プロは上手い。(当たり前だ!)
2000年11月11日(土)
今週のトピックスは、何といっても苦情処理だった。ビールの6缶パックに付けていた景品が不良品だったとのお叱り。お客様宅を訪問すると、まず叱られたのは景品ではなく、服装だった。社章の付け方から、ネクタイの締め方、50代半ばの方だったが、「こうあるべき」というものを頑なに持たれているらしく、なかなか厳しいご指導をいただいた。
激昂される時は、なかなかキツイ物腰だが、とにかくキリンファンであることはひしひしと伝わってくる。こういった想いのあるお客様に商品でも応えていかなければと思う。
それにしても、月曜の電話から、連日の訪問でようやく金曜日朝にお客様からお許しいただけるまでが長かった・・・
そういえば、7日(火)に大フィルの定期でおもしろい光景を見た。ソリストは、オヤジの大好きな諏訪内晶子で、オヤジは初めて生でお目にかかった。曲目はタコ1のコンチェルトだったが、なんと初めて数分のところでE線が突然切れた。一番高い音を出す線であり、かつ重音飛び交う超難曲ということか、無理せず中断、弦を張り替えて再度始めから演奏した。こういった場面に出くわしたのも初めてだが、客席は明らかに最初の緊張が途切れた雰囲気になった。しかし、演奏者側はさすが緊張感が途切れず、むしろ素晴らしい演奏で、むしろ快演といえた。さすが容姿端麗だけでない実力。オヤジの大好きなタコだが、生で聴くことによりこの曲の価値までも新たな発見をさせてもらった。
このことが、すぐにアップできなかったのは、深夜帰宅かつ飲んだくれていたため。
さてさて、そうこうしているうちに、来週いよいよ A TURNING CONCERT の本番になる。今日の練習で何とか目途もたった。あとは、当日の天気を祈るのみ。
2000年11月2日(木)
「リーダーシップ」という言葉は実に安直に使われるが、大層難しいものだと改めて実感する。リーダーはメンバーに慕われるものか、疎んじられるものか、果してどちらのタイプがリーダーとして優れているのか。少なくとも、リーダーはメンバー合ってこそ存在するもの、即ちメンバーのために存在する役割(権威ではない、その人につくものではないといった基本的なことを理解していない人が多いが・・・)である。
会社でリーダーの役割を担ってほぼ1年。かつて研修部署では偉そうに研修を企画実施し、あるべきリーダー像などとぶちあげていたが、ほんとに自分自身の実践となると難しいものだ。
2000年10月28日(土)
今週後半は仕事半分、付き合い半分、いずれにしても飲みが続いてなかなかしんどかった。それでも、次の日も日が暮れると飲みたくなる。やっぱりアル中予備軍であることは確か。
今日は、午後は11月18日の演奏会の練習、夜は芦響の練習と連荘だった。これも週末演奏家にとっては、なかなかハードなスケジュールである。
昼は変更した前半の曲目の始めての合わせだった。1ヶ月足らずのところでの曲目、演奏者の変更だけに、若干心配だったがなんとかなりそう。ピアソラの雰囲気がどこまで出せるか、もう1回の練習で色気が出せるか。
夜の芦響は、今回芦響初登場の田久保裕一氏が、初めて振りに来られた。練習中もどちらかというとざわつく傾向にある芦響も、さすがに初めての人なのでやや緊張気味だった。普段からこれくらいの緊張感があれば、芦響ももっと上のレベルを目指せるのに。練習の方は、音楽教師からプロの指揮者に転じたという田久保氏の気さくな人柄もあって、楽しい練習になった。既に芦響が、パワー主体のオケだということを見抜いたようだ。R.シュトラウスはともかく、特にシューベルトのシンフォニーをどのように仕上げて行くのか、次に来られるのは年明けてからだが、楽しみだ。
2000年10月20日(金)
今日は大フィルの定期演奏会、しかも朝比奈隆のブラームス。開演前の土砂降りなどなんのその、しっかりフェスティバルホールは満席になる。メインの交響曲第2番は、予想どおり第一楽章のリピートを行なったが、オケも調子に乗り切れず、木管の音程も定まらず大丈夫かなと思いきや、4楽章はまさに「若さ」。90代の指揮者のブラームスではない、その「若さ」に背筋にゾクゾクっとくる感動。やはり、大阪に朝比奈在りを痛感し、かつ心地よい満足感で会社に帰って、仕事の続きをする。(悲しい・・・)
ちなみに、おかげさまで代役も見つかり、練習予定も変更目途がたった。曲目も前半をガラっと変えて心機一転、人生の転換点となることを目指してさらうのみ。
2000年10月14日(土)
今朝のこと、来月40歳の誕生日に行なう予定だったコンサートで共演の予定だった一人が、おめでたとのこと。めでたい、めでたい。ただ、ツワリが予想以上にキツイため出演ができそうもないので代役を立てて欲しいと連絡が入った。ピアノとヴィオラの二役だったので、簡単に代役をという訳にもいかず、さてさてどうしたことか・・・。現在、他のメンバーと相談して代役物色中。
下記にもボトル缶に触れたが、今週初めにボトル缶に一言申し上げた。あっという間に50以上のアクセスがあった。更新しないと1日当たりせいぜい2〜3程度。やはり、どこかで密かにチェックされているのか・・・。やはりネットのパワーは恐ろしい。
今週は、火曜日に和歌山、水曜日に長浜、彦根。まさに広域の活動範囲。肉体労働自体もさることながら、物理的だけでなく心理的にも疲れた・・・。それにしても、あんな田舎にあんなデカい店舗建てて、大丈夫かいな?
ちなみにポケットPCは快調。既に紙の手帳とはおさらばした。それでもポストイットは必需品。やはり、脅威の商品力だ。
2000年10月8日(日)
金曜日の夜にポケットPCが届いた。カシオの新製品。今までズーっと迷ってきたが、この辺りが潮時とエイヤっと買ってしまった。土曜日の夜は、スケジュールや住所録の登録に没頭し、最後に手を付けたモバイル設定で四苦八苦。相変わらずこの手のマニュアルの解り難いことったらありゃしない。
結局、日曜日の朝、冷静にマニュアルを読み直してようやく繋がり、HPもメールも携帯電話が繋がればどこでも見られるようになった。
それにしても金曜日の地震は凄かった。オヤジの会社は18階にある。ただでさえ、横揺れの大きい地震だったが、耐震構造なのか20〜30cmは横にユラ〜リユラ〜リと3分近くも揺れていた。まさに波高い海をいく大型船のようで、丁度昼食を食べた直後だったこともあり、完全に船酔い状態になってしまった。
そろそろ、ボトル缶についてもオヤジのウンチクをと思いながら、雑感どまりの今日この頃。
2000年10月3日(火)
バタバタとしていると1週間なんて、あっという間に過ぎてしまう。今日の雑感ではないが、「ビール税」の話しに少し触れたい。
ビール税は、希望小売り価格で計算すると40数%の税率になる。今時、ビールを希望小売り価格で売っているところなどほとんど無いから、実質の税率はより高いと考えて良い。
店頭で販売される価格がいくら割引かれようと、国は決して税金をまけてはくれない、メーカーは決められた額を一銭足りともまからずに徴税事務まで代行している。少し話しが逸れたが、ざっくり言えばビール代の半分は税金なのだ。発泡酒が安いのは、原料比率によって酒税法上この税金が異なるからであり、税金さえ少なければ、実はビールももっと安く飲めるのだ。
もう一つ、この酒税は内税となっているために、消費税が酒税にもかかっている、つまり二重課税となっている。税金に税金をかける。税率の高さばかりでなく、こんな理不尽が大衆商品にまかり通っており、国も政治家もここには触れようとしない。
消費者として酒の安い店を探すのも知恵だが、根本の理不尽の是正に目を向けていくことこそ必要に違いない。
2000年9月25日(月)
昨日、芦響の仲間の結婚式及び結婚披露パーティに出席した。結婚式で誓いを済ませた新郎新婦が楽器をもって自ら祝奏をしたのにも驚いたが、それ以上の圧巻はパーティの方だった。パーティというよりもまさにコンサート。通常の披露宴の時間を遥かに超える3時間半のエンターティメントの連続。この数日間、この日のために、自らシナリオ作り、編曲作業等でほとんど徹夜続きだったという新郎のバイタリティに感服した。
「夢はかなえるためにある。」どこかで聴いたような言葉だが、清々しい意味でまさにピッタリ。自分と新婦を文字通り主役として、周囲が気持ち良く盛り上げたくなる「場」が形成されていた。これは、シナリオの出来でも、徹夜続きのバイタリティでもない。きっと、通常接している積み重ねから生まれる彼の「人徳」に違いない。
その会場から余韻に浸りながら気持ち良く帰宅の途につく自分の裏側で、そんな「人徳」とかけ離れたところで依然悶々としている自分自身がいた。
まだまだ「不惑」には程遠い。
2000年9月20日(水)
携帯電話の電車内での使用の自粛、JR西日本はより一層踏み込んだ車内放送の表現になるらしい。もっともらしいことだが不思議なことだ。大声で喋る酔っ払いやオバチャンの方が余程周囲には耳障りで迷惑だろうに、少なくともオヤジはそう感じる。
欽ちゃんのマナー広告も首をかしげたくなる時がある。映画館と電車内とはいっしょかい?そりゃ、本質的に違いまっせ!
それにしても、毎朝オヤジが通う駅頭では、駅員さんが元気に「おはようございます!」と声を発している。そんなことはどうでもいいから、問い合わせの時に規則規則で逃げ回るので無く、親身に応えてくれよな。挨拶なんてそれこそ、うるさいだけだから自粛していただきたいものだ。お客様に喜ばれるサービスの本質とは、自分達が清清しいことではなく、お客様が気持ち良くなることなのですよ。まさに自戒も込めて。
2000年9月14日(木)
3ヵ月ぶりの大阪フィルの定演だった。2回連続で仕事のために後輩に代わりに聴きに行ってもらっている(と言いつつ、しっかりチケット代は徴収している。)ので、ほんとに久しぶりだった。
東京時代は行きたいと思いつつ、開演時間とホールまでの時間を考えると、ちょっとした仕事の勢いで開演に間に合わないことも多々ありそうだと二の足を踏んでいた。でも、やはりオケに携わるものとして、定期的に生の音に触れることは大切だと思ったことと、大阪では幸いホールまで徒歩10分ということもあって、定期会員になっている。
そこでいつも気になるのは、雑音とブラボー病である。生の会場であるから、オーディオ装置で聴くのとは違い臨場感として、音楽以外の音が混じるのはむしろ悪いことではない。私も所謂生理的な音(咳、鼾等)は自分でもやむを得ずたててしまうこともあり、それほど気にならないが、時に起こる物理的あるいは意図的な音(飴の包み紙を開ける音、ひそひそ話等)は気になる上に腹立たしいものである。どうも家でステレオを聴きながらの意識が抜けない輩がいるらしい。また、そういう場合、決して「今時の若者」ではないのだ。
ブラボー病も、同種の誰より早く拍手したい病と同様、音楽の余韻を奪うものである。特に大阪フィルの定期演奏会場であるフェスティバルホールは、国内では音響的に余韻が長い方のホールであり、それがまた味わいにもなるのだが、実音が消えるかどうかでいきなり「パチっ!」と一発狙いの拍手とか「ヴゥラァボォーッ!」という下品な叫び声は、それまでの音楽全ての聴いてきた過程の喜びすら破壊しかねない。
指揮者が指揮棒を下ろし、全身の緊張が抜けるまでが音楽である。その余韻を楽しむ余裕を、皆が当たり前のように持てないものだろうか。
2000年9月9日(土)
古くからのオーケストラ関係の友人(というか先輩)が、出張でこちらに来た。芦響の練習を見学したいとのことで、練習場所に覗きに来られた。その後、共通の友人一人を加え、軽くのつもりが本格的に飲んだ。
始めは生ビールで乾杯。その後、ひたすらビールで杯を重ねる私に対し、他のお二人は日本酒に移っていった。改めて、最初から最後までビールで通すことが、ビール会社の社員にとっては当然視されているが、一般の人達の飲用形態からはかけ離れているのではと思った。勿論、ビールの飲むペースにしても、私が圧倒的に速かったのは言うまでも無い。
自社商品愛飲もメーカーにとっては必要なことだ。それだけに、総合的なラインアップがこれからの方向性としては、一層重要になってくるに違いない。
2000年9月4日(月)
昨日、日帰りで東京に行った。会社の後輩の結婚披露パーティーに出席するためだったが、日曜の日帰りはなかなか気持ち的にも、肉体的にもこたえるものだ。
行きの指定席でのこと、おねえさま方の10人ほどの団体と隣接した席だった。イヤな予感は的中した。東京に着くまでの時間、おしゃべりは延々と続いた。どうも同窓かなにかなのだろう、一人がアルバムを取り出すと皆が群がり、ああだこうだと声高なおしゃべり。果ては、通路を塞いでまでアルバムを覗き込んで、さしずめ蜜に群がるハチのようであった。
おねえさま方である、皆いい年だ。ほとんどが妻であり、母であることも窺い知れた。それが群がると小学生よりも始末が悪い。こうやったら迷惑だ、と解っていながら、やってしまっている。それが会話からも聞こえてくる。となると、まさに確信犯だ。「今の若者は・・・」などと言えた義理では無い。「今時のオバサマ方は・・・」エチケットは、年代で区切れる問題では無い。
勿論、人の振り見て我が振り直せ、自ら律しなければ。
2000年8月31日(木)
酒類免許の規制緩和が、一部延期される。
酒類メーカーの社員だから、ここで発言するのはリスキーなことである。でも、延期の理由が、不当廉売の是正と、未成年の飲酒防止対策の徹底だそうだ。なんか引っかかりますね。
少なくとも10数年前の酒屋さんは、安く売ってはいなかったことは確か。だって、所謂「競争」とか「競合」は無かったから。でも、今買う立場になると安い店を捜して、安く買えると少し幸せを感じるのもオヤジだ。反面、売る立場になると、厳しさに直面しているのもオヤジだ。
酒屋さんは、対面販売が基本だったことは確か。でも、閉店後、未成年は店の前にズラリと並んだ自販機で酒を買っていましたよ。少なくともオヤジは買っていた。
だからどうだって?4ヶ月規制が延期になったってことは確か。それで何が変わるのか?そして誰がこの4ヶ月延期のメリットを享受するのか?
2000年8月25日(金)
朝の通勤電車の中で何気なくドアの上の広告を見る。
ジパング倶楽部の宣伝だった。加入資格は、男65歳以上、女60歳以上・・・
えっ?何故、男女で違うのだ?平均寿命は男の方が短いのだから、男の方が低くたっていいぐらいではないか、なんて発言しようものなら、すぐさま「女性を差別している」なんてクレームが来るに違いない。男が大らかなのか、女が恐いのか?
コミュニケーションについて、「何を伝えたかよりも、何が伝わったかが重要。」とよく言われる。コミュニケーションは大事だが、とても難しい。言葉に限らず、相手に見える部分と見えない部分があるからだ。同じ言葉でも、発した人の気持ち、受けた人の気持ちによって意味合いが正反対になることさえある。そのズレに気付いた時、あるいは気付かされた時、それは幸せなことなのか、不幸なことなのか?少なくとも、今まで良かったと感じたことは思い出せない。
繋がりの無い、まさに今週の雑感二題。それにしても今週は飲み疲れた。
2000年8月16日(水)
昨日は、「敗戦記念日」だった。
何故、マスコミをはじめ「終戦」という言葉で勝ち負けを曖昧にするのだろう。負けたのは事実であり、今の日本社会は「戦争に負けた」ことから全てが始まっているはずなのに。この「事実」を曖昧にしたままでは、今の日本を正しく観ることはできないとオヤジは考えている。
加えて、何故「戦争の悲惨さ」ばかりを語り継ぐよう強調し、何故あの戦争をしなければならなかったのかということを「軍部の暴走」「当時の指導層の無能」といった乱暴な断定に終始し、詳しく正しく伝えようとしないのだろう。
それじゃ、オヤジは小林よしのりの回し者かって?
確かに、「戦争論」も「個と公論」(いずれも幻冬舎)も読んだし、どちらかといえば共感する点は多い。だからってシンパというほどではない。勿論、共感できない部分もある。
オヤジは、異なる立場の異なる考え方を予断を持たず、理解しようとすることに価値を感じる。それぞれ基になる「事実」があり、分析がある。しかし、それが「本当の事実=真実」であるか、オヤジレベルで全てを検証することなど到底不可能である。だから、様々な立場、様々な考え方に接することが大切だと感じるのである。そして、膨大な情報の中で真実に到達したことが確認できない多くの場合、最後は個人の価値観に基づく、自己判断によらざるをえないと思う。
全ての人が当たり前のように「正しい」と考えていることでも、「本当に正しいのか?」もう一度問い直し、追求すること、大学の恩師の退官時の最終講義でのこの一言が、オヤジの心に今もしっかり焼き付いている。
2000年8月14日(月)
久しぶりにM氏に会った。M氏とはかれこれ8年程前からの付き合いになるだろうか。付き合いといっても、年に何回か飲み会で会う程度。それもオヤジが大阪に転勤になってからは、たまたま上京した折に都合が合えばということで、年1回程度である。
このM氏は、外資系で長く働いていたキャリアにも大きく影響しているであろうが、「自分は何者である」という自立性、そして「自分が源」という自律性に富んでいることところが、オヤジには大きな魅力を感じる人である。
彼は、1年半程前に転職した。転職先は、外資系の対極である旧財閥系の大手企業である。案の定、自立、自律とは対極の社内営業構造にぶつかって悩んでいるそうだ。悩む彼にくるアドバイスもいかに組織で目立たずに、上役に目をかけてもらうかのノウハウだそうで、彼をこの会社に引っ張ってきたトップマネジメントの一人ですら、時期尚早だったかと言っているそうで、彼は既に「自分を活かすために」、次のステップを具体的に考えている。
オヤジは彼と話しをしながら、オヤジ自身は恐らくこういった状況で居酒屋でのグチで全てを解消しようとして、具体的な状況は結局変えないまま済ませるだろうなと考えていた。しかし、彼は自分の置かれた状況を変える必要を感じれば、具体的に変えようとしている。彼が「自分を活かす」とすれば、オヤジはさしずめ「自分を生かす」ことで止まっているに違いない。
さてさて現実を考えれば、そうは言ってもである。
言い訳がましいが、このHPでは、現実で「活かす」ところまで到底到達していないオヤジの、せめてヴァーチャルであっても「自分を活かす」場にできればと思っている。
2000年8月10日(木)
初回ということで、以前のコラムから、オヤジも気に入っていたし、周囲の方々からも反響をいただいた「『遊星より愛をこめて』を知っていますか?」を再掲したい。
こういった問題は、とてもデリケート視されているが、それがために本質の議論に至っていないことが大変多いように思う。たまたま、今年の前半に「『弱者』とはだれか」(PHP選書:小浜逸郎 著)を読む機会があったが、共感できる点も多々あった。弱者は保護されるべきもの、差別は許してはいけないものといった既成の固定観念が先行し、個々のケースで具体的に何が問題なのかという議論すら許さないこともある。ところが、そういった観念そのものが、現在の社会とズレを生じてすらいるのである。
くれぐれも誤解の無いように、オヤジは決して弱者を保護するな、差別は当たり前とは思っていない。具体的なケース毎に、誰が護られるべき「弱者」で、なにが許されてはいけない「差別」なのかを、様々な立場と考え方を擦り合わせることによって明確にしていくことが必要ではないかと提起したいのである。