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25/06/03
Aire-Sur-L'Adour(6:00)〜Arzacq-Arraziguet(15:38) 33.5km 曇り一時小雨

 昨夜の小雨でテントが重くなっているが、曇りのため涼しくてピッチがあがる。快晴のあの暑さに比べると曇天はまさに天国だ。出発して40分ぐらいで大きな池を過ぎた辺りからとうもろこし畑の中を2時間近くも歩くことになる。それを過ぎた辺りから小さな村にも教会があり、道端には十字架が目立つようになる。巡礼道に戻った感じだ。
 Miramont-Sensacの小さな教会の中にPyrenees山脈の山塊を説明したパネルがあり、スペインが近いことを知る。晴れた日にはPyreneesが見えるのでしょうか?しばらく行くと、道端に"A Compostella 935km"の道標が見える。
 Pimboの教会の前で声をかけてきた人がいる。懐かしい、Cahors(13/06)でGITEを案内してくれた人だ。お名前をお聞きすると、Pascale Deshorsさん。あの大哲学者と同じ名前だ。彼女もひとりでCompostellaまで行くそうだ。彼女からも質問を受けた。"Why do you make this Pilgrinage?"わたしは"Sport"と答えて怪訝な顔をされた。市川さんは"Priere"と答えた納得してもらえた。"Et Vous"と聞くともちろん"Priere"だ。
 今夜のGITEは夕食を用意してくれる。朝食も込みで1人18.3ユーロとは安い。7時過ぎに食堂へ行くとすでに15の人が集まっていた。ぶどう酒もついている。私の隣のフインランド人の上手な日本語で「乾杯」と音頭をとってくれた。周りの人も一斉に「カンペイ」と唱和して食事が始まった。メンバーのうち、数名の除いて既に顔なじみだ。みんながうちとけたいい夕食会だった。

26/06/03
Arzacq-Arraziguet(5.50)〜Arthez-de-Bearn(14:12) 28.5km 小雨のち曇り

 2日も続けていい?日が続くなんて、ここでは珍しい。太陽の照り付けに苦しまなくってよさそうだ。
 出発直後、2方向に案内表示があり、判断に迷っていると、後ろから、数日前から追いつ、追われつの2人連れが追いついてきて、道を案内してくれた。どうも、近道らしい。思わず「ラッキー」と叫ぶ。以降われわれの顔を見ると「ラッキー」と言う。「ラッキー」って日本語だったけ。きょうの前半は起伏の多い農道。それでも、小雨交じりの天候が体を冷やしてくれて、あまりペースは落ちない。先ほどの2人連れが"Bigining Pyrennes"と言ってわれわれをからかう。
 写真は道路沿いの木の写真ですが、帆立貝は分かります。くぼんだところの中心にマリアの像。黒い液体の入ったビン、靴の中敷きまでぶらさがっているのは分かりません。でも、巡礼の道を歩いているのだという気持ちにさせてくてる。
 きょう、最後に立ち寄ったChapelle de Caubinは正面になにもなく、側面に石を彫った女性の寝姿が無造作に置かれていた。何かいわれがあるのだろう。
 きょうのGITEは街に出るのに1km余りかかる。GITEの自転車を借りて走ったが、なんと気持のいいことか。

27/06/03
Arthez-de-Bearn(6:09)〜Navarrenx(13:24) 29.5km 曇り

 5:30、食堂で食事をしていると「ラッキー」と言って2人連れが出発して行った。愉快な連中だ。2時間半ほどかかって、なだらかな丘を下り、川を渡ってMaslacgの村に着いた。先に出発した連中が休憩していてにぎやかに歓迎してくれる。フランスの国境はもうすぐだ。Pyrennesのフランス側の麓の都市、St-Jean-Pied-de-Portまでで旅の終わりにする人も多く、なんとなくうきうきしているように思える。
 写真の十字架は川の手前の道路際の十字架だ。余分なことだが、私にはこの感覚がどうしても理解できない。この近くにあった新しい教会も鍵がかかっていた。古い教会はいつでも入れるが、総じて、新しい教会は鍵がかかっている場合が多い。すこし、悲しくなる。
 前にも書いたが、巡礼の道を歩いている時、1000年前と時を共有していると感じことが少なくなった。当然のことだと思うが、いまの道は交通量の多い自動車道や民有地を迂回して表示されており、特に、肩の荷が重く感じるときはいろいろ雑念が浮かぶ。
きょうの宿泊地のGave d'Oloron川が流れるNavarrenxは城壁に囲まれた街だ。街の案内書を見ると16世紀の半ば、イタリアのFabricio Sicilianoの攻撃に対するため造営したものが今も残っているそうだ。
 今夜のGITEの国別宿泊客の数。日本人3人、そう、われわれ以外にもひとりいたのです。フランス人12名、ベルギー人1人、アイルランド人1人それにイギリス人1人の18名です。夕方6時から全員、教会へ行って、牧師さんらしいのお話をお聞きし、そのあと、簡単な飲み会があり楽しい交換の場になりました。5日ほど前から道中でお見かけする少しお歳をとられた3人のシスターもいたのでお声をかけると、東京、京都にもいたことがあるそうです。シスターは人目で分かりましたが、男の聖職者は今まで出会ったかも知れないが、わたしには見分けがつかないので分かりません。
 翌日も、休養のため連泊しましたが、夕方、教会でお話があり、その後、簡単な飲み会がありました。主催者側のメンバーが変わっていましたので毎日、持ちまわりでお接待をしているのだろう。ありがたいことだ。お話の中で、歩いて巡礼される方が増えてきて一昨年が600人、昨年が1000人近くなったそうです。主催者のうち、小柄で血色のいいお歳をとられた女性に気になっていたことを、例の電子辞書とノートを片手に質問した。「昨日通ったSauvelade村で村の歴史を書いた案内板があり、フランス国旗のよこにフランス語が、英国旗の横に英語が、牛を2頭重ねた旗の横に見なれない文字があったが、この地方に独自の文字があったのかどうか。」やはりあったそうです。(昨夜も、レストランで英語の話せる女性に同じ質問をしましたが、無いと言ってた。)この地方をBearnと言い、その旗だそうだ。しかも、Bearnの横に+Basqueとノートに楽しそうに書き加えた。バスクはスペインの? と聞くとPyrennesの手前だと言う。そして、Pauにこのあたり一体を治めてお城があったそうだ。
 「空海の思想について」を読み終えた。というより目を通したと言うべきか。『どっどとした』ものを頂いた感じがする。

29/06/03
Navarrenx(6:40)〜Aroue10:57) 18.5km 快晴

 ショートコースのため安心して寝過ごしてしまった。途中、ぼんやりと(太陽が昇っていたため)ピレネーの山塊が見え(市川さんから指摘されるまで気が付かなかったほど。)たり、冷たい川で足を冷やしたり、私だけ巡礼のコースを通らず20分ほど近道をして、フランス人からフライングとからかわれたり楽しいハイキングコース。日盛りの前にGITEに入り昼前にはシャワーを浴び、洗濯も終えていた。
 市川さんは相変わらず道端に十字架があれば頭を下げている。わたしにはできない。四国を歩いた時、札所へ着くだびに、「歩かせて頂いてありがとうございました。」と手を合わせたのに。
 唐の玄奘三蔵が仏典を求めてインドへ赴く前、インド僧から教えてもらった短いお経(般若心経)をとなえながらシルクロードを越えて行ったそうだが、クリスチャンの人は苦しくなった時、何をとなえながら暑い、長い道を歩いているのだろう。
 きょうの1枚は私たちの元気な写真です。GITEの前で。

30/06/03
Aroue(6:12)〜Ostabat-Asme(13:19) 25km 晴れ

 昨夜、聞いてみました。GITEが同じだったフインランドの女性に。市川さんと3人でワインを飲みながら「クリスチャンの人は、巡礼の道で、暑くて、疲れて、しんどい時に、何かお祈りをしながら歩くのですか?」 特にないそうです。(すこし期待をしていたのですが。)
 Aire-Sur-L'Adour以降、ハエの2〜3倍の大きさの血を吸う虫になやまされています。特に、木があるところが多いようで、手足に纏わりつき、ちょっと油断して痛いと感じてから、たたくと手が赤くなります。
 アップダウンのコースを歩きますが、Ostabat-Asmeの手前1時間強の小山の頂上に、正にPyrennes山塊の展望台といった場所があります。木陰にベンチもあり、風も涼しくたっぷり休ませてもらいました。
 Ostabat-Asmeの村は、フランスから4つの巡礼の道のうち、Le Puyルート、VezelayルートおよびParisルートの合流地点で賑わいを予想していたが、われわれのGITEに泊まっ3人だけだった。(宿泊場所はたくさんあり、分散したと思うが... )村に散歩に出ると現代美術展が開催されていたのには驚いた。会場に、新聞のスクラップもあり名の通った人の作品らしい。レストランにも現代美術が展示されていたりして、Pyrennesの麓のこの村で制作活動をしている人がいるらしい。きょうは、だれもいない教会の中で「ありがとう」とつぶやいた。
 夕方、GITEのオーナーから自家製のマデラワインの差し入れがあり、英語のまったく話せないフランス人とトンチンカンな話をしながら楽しく過ごしました。

01/07/03
Ostabat-Asme(6:15)〜St-Jean-Pied-de-Port(11:52) 20.5km 晴れ

 日が上がっても山からの冷たい風で、とても心地よい。あの暑さに苦しんだ日のことがうそみたいである。
 歩きながら、この1ヶ月余りをかけてフランス地域の巡礼の道を歩いたことを考えていた。なにか自分に変化があっただろうか?
明日のことは分からないが、今のところ無い。もちろん、歩くことは楽しいし、変化に富んだ風景、いろんな人との出会い、あたらしい体験等々、期待以上ですが、これからも”あなたは何故巡礼の道を歩いているのですか?”と聞かれれば、申し訳ないが「スポーツ」と答えざるを得ない。きょうも、St-Jean le Vieuxの街で市川さんが教会の中にいてる間、近くのBARでビールを飲んでいた。そこに先日、近道をしてフライングをしたとからかったフランス人がいて、市川さんはお祈り、あなたは近道はするは昼間から酒は飲むは、だめですね。とまたからかわれた。彼とはだいぶ前Estangで見かけた時はひとりたったが、その後、見かけた時は男性と二人連れ、5日前から若い女性2人を含めた4人連れ、きょうは、女性2人と3人連れ。
 St-Jean-Pied-de-Portには城壁の門をくぐって入る。細い下り坂の道の両側にはみやげ物屋やレストランが並んでいる。門から少し行った右手のところに巡礼者のためのサービスセンターのようなところがあり4人のスタッフがスペイン巡礼のアドバイスや資料の提供、そして、ここでの低廉な宿泊施設の斡旋もしてくれる。この街には鉄道の駅もあり、ここから巡礼をスタートする人も多いようで、ひっきりなしに来訪者がある。この夜、GITEの食堂にいた女性に聞くと、ブラジル人でここからスタートするそうだ。
 明日は山崎さんと合流し、もう一日休養をとって4日にPyrennes越えだ。

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