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14/07/03 Najera(6:00)〜Santo Domingo de la Calzada(12:29) 20.7km 曇りのち晴れ、一時雷雨

Najeraを過ぎると風景が変わってきた。ブドウ畑から野菜が多くなった。写真の犬を連れた女性は数日前から見かけるようになった。この犬も首輪に小さな帆立貝と光る石をつけていた。Santiagoまで行くと言う。
Santo Domingo de la Calzadaは石畳がつづき落ち着いた街だ。パラドールのすぐそばのSaito Domingo de la Calzadaは17〜18世紀に建てられた教会で古くは無いが宝物なども展示している部屋もあり、有料(巡礼者割引で1.5ユーロ)で見学できる。銀細工がすばらしい。
きょうのAlbergue(巡礼宿)の宿泊費はDonacion(寄付)でいいという。教会が運営しているのだろうか。キッチンもあり、ベッドカバーもあり、受付の人も感じがよかった。
巡礼宿の前の広場でビールを飲んでいると寝袋などを積んだ頑丈そうな自転車に乗った青年が近づいてきて話しかけてきた。聞くと、ドイツの大学生で、スイスを経てわれわれが歩いた道を通ってきたそうだ。自転車は自分で組み立てたそうでフレームははポーランド、チェンジギアーは日本とか前輪の荷物かけは自分で溶接したと言っていた。彼もんSantiagoまで、もちろん帰りも自転車で。彼に得意の質問をしてみた。「どうして、巡礼の道を行っているのですか?」困った顔をして口ごもりながら「この旅によって自分を高めることができるから」そして「すこしだけ」と付け加えた。夕食後、きょうの午前中、巡礼道で口を聞くようになった青年にも同じ質問をした。"To make a balance between the past and what can be the future"と。よく分からなかったので「君は哲学者ですね」と言ったら、笑っていた。スペインの女性は歩くことが好きだから、と言っていた。

15/07/03 Santo Domingo de la Calzada(6:00〜Belorado(11:48) 21.7km 曇りのち晴れ

昨夜の雨で早朝は肌寒く感じる。6時前に外へ出ると荷物を背負った30人ぐらいの高校生らしいグループが集まっている。以前にも何度か見かけたが、このグループも体験学習のようだ。まもなく引率の先生がみんなに地図を渡して話をしている。救急薬品や食料を積んだバン型自動車もいる。生徒に地図を見せてもらうと、きょうの行程は45.4km、われわれの2日間の行程を1日で歩く。
風景が、また、変わってきた。一面の麦畑。丘の斜面もものともせず一面の麦畑。見事というほかない。刈り取られた畑、穂のついた畑、それぞれに濃淡があって面白い。
きょうは、2つの村の教会の扉が開いていた。うれしくなる。
Beloradoには巡礼宿が2軒ある。最初にある方は、もう、すでに30人以上の人が12:30からの受付を待っている。そこをパスし次の巡礼宿へ行くとすぐ受付をしてくれ、中に入ると清潔なシャワー室、ベッド、キッチンがあり満足。しばらく見かけなかった人にも再会できたりでよかった。裏庭での昼食後、市川さん、山崎さんとワインを飲みながら、きょうの、満足がそうさせたのか、「粋」について話をしました。
宿泊料4ユーロ、ここは朝食もあり3ユーロでした。

16/07/03 Belorado6:00)〜San Juan de Ortega(11:43) 23.7km 曇りのち晴れ

肌寒い朝、ここは高度800m、きょうは、1350mの峠越えが待っている。汗をかかないので助かる。ピッチがあがる。途中、小さな村を3つ越えた辺りから登りだ。風が強くなってきた。真っ黒い雲、今にも降りそうだ。a
1250m辺りから久しぶりの森林地帯に入る。道路幅は30mもある地道だ。昔は峠越えの自動車道だったのだろうか。現在の自動車道は付け替えられて道路の半分に苗木が植えられていた。今まで通ってきた道はピレネーに連なる山は別として、ほとんどの土地の樹木が伐採され麦畑、あるいは、ブドウ畑になっているのに、ここだけは異常(正常)だ。峠のトップにでてもなかなか下りにならない。2時間ほど1350m台の高さのところを一ヵ所を除いて全く高低さなしに続く。不思議な体験だ。
下り坂になると、まもなく、本日の宿泊地San Juan de Ortegaだ。ここには民家が10数戸しかないのに立派な教会があった。信仰の場と言うより記念物として保存されているようだ。
小さな村なので売店がないと聞いていたが、一軒、巡礼者あいてのレストランがあり、5.3ユーローでなかなかの味のものを食わせてくれる。
ここで、1ヶ月以上も前にフランスで出会った人に肥をかけられ戸惑ってしまった。
17/07/03 San Juan de Ortega(6:00)〜Burgos(11:39) 22.8km 晴れ

早朝のまだ暗い道を下り、ひとつ峠を登ると遠くに大きな街の塊が見える。Burgosだ。今までの経験からすると、ここから3時間ほどかかりそう。街並みに入って、しばらくしてからCatedralの場所を聞くと、まだ、2km先だという。30分も新しい街並みが続き、この間、古都の雰囲気が感じないので通りがかりの人に何度も同じ質問をしたほどだ。
写真は全景がレンズに入らなかったのですが、スペインのArle gotico様式の一端をお伝えできればと思います。

数日前から市川さん山崎さんと話し合ってきたことですが、このまま、1日20km前後ペースで旅を続けると、レオンで、4日ほど余裕日ができる。市川さん山崎さんは巡礼宿での連泊がきかないので、1日の歩行距離を短くし、巡礼の道を楽しむ考え。わたしは、このままレオンまで進んで余裕日を利用してバルセロナへガウディの作品を見に行くなどスペインの休日を楽しむ考え。
巡礼の道ははっきりしており、毎日100人以上の人が歩いており、1日の行程も無理がないので、お互いの意見を尊重することとして、マドリッドでの再会を約して、別行動をとることとしました。Bueno Camino

18/07/03 Burgos(6:30)〜Arroyo San Boi(12:36) 31km 快晴

みわたすかぎり麦畑の炎天下、当初予定の宿泊地Hornillos del Caminoを通り過ぎ7km,道をそれること200m,ちょっと木陰で一休みのつもりで立ち寄ったのがArroyo San Boi。わずか12名しか泊まれない巡礼宿がある。電気もない。中に入ってコーヒーをもらい、一服してから出ようとした時、ビールの空き缶があった。"Hay cerveza?"(ビールありますか?。)建物を出てしばらくすると冷たい缶ビールをもってきた。きっと、冷たい水があるのだ。
次の巡礼宿まで4km、軽く歩ける距離だ。リュックを担いでもう一度、木陰の方を見た。きれいな芝生の上で本を読んだり、昼寝をしている人がいる。決まった。ここで泊まろう。それもキャンプで。ここしばらく巡礼宿で大きないびきに悩まされていたので迷うことは無かった。キャンプ、夕食、朝食付きで7.3ユーロ。
木(スペイン名chopo)陰の内と外では天国と地獄。日中の暑さを避け、ここで休んで5時過ぎから出かける人も多い。
夕食の時、マドリッドから来た男性に「スペインのどこが好きか?」と聞かれたので、「ぎらぎら輝く太陽、乾いた空気それに地平線まで見渡せる大地」と答えた。(うまく伝わったかどうか?)ニューヨークから来た女性に「なぜ巡礼の道を歩いているのですか?」と聞くと「すばらし景色とここでの体験」と答えてくれた。彼女はスペインの東の端RoncesvallesからLeonまで歩くそうだ。

19/07/03 Arroyo San Boi(6:45)〜Puento Fitero(13:19) 21km 快晴

朝食は6:00の約束だが、6:30になっても主人は起きてこない。夕食の時間もここはスペインだだとか言って40分も遅れた。あきらめて出発した人も幾人かはいたようだ。
6時57分、地平線から登る朝日を背に受けながら、ひとひとりいない麦畑の中の一本道を進む。朝日を受け、刻々と変化する刈り取られた麦の株の模様が面白い。
はげ山が目立つようになった。かって森林だったところが伐採されてこうなったのか、元々そうなのか気になる。余りにも土地が利用しつくされ、自然林がほとんど見られないので、考えてしまう。植林の形跡もあるがうまくいっていないみたい。
きょうはCastrojerizの手前で熱気球が飛んでいるのを見た。また、Castrojerizを過ぎた小山を越える6kmほどの巡礼道を足元は登山靴だが軽装の30名ほどのグループが歩いているのを見かけたので、お聞きするとドイツから来た巡礼ツアーだそうだ。自動車道のところまで来ると観光バスに乗り込んで行ってしまった。
きょうの宿泊所はRefugio(避難所)。キチンが無いがシャワーもあり、Albergue(巡礼宿)より清潔でベッドの配置もゆったりしている。少し前から賛美歌が近くで聞こえる。廊下に出てみると晴れ着を着た女性たちが2階から降りてきた。7時からはじまるミサのの時に歌う賛美歌の練習をしていたのだ。すぐ向かいの教会を覗いてみる。昼間閉まっていた扉が開かれ、晴れ着を着た村人が続々とつめかけている。

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