旅人の何気ない日常

     旅立ちから52日目。ラサに来て21日が経った。
    ラサに到着してから、街から街へという、大きな移動も一段落し、長期滞在を決めていた僕の旅は、ラサを拠点に何処かへ行くこともあるが、戻ってきて数日間は、まるでここで生活しているかのように、規則正しくなってきた。

     朝8時に起きたけど、まだ眠たくて、ウトウトと。
    何処かへ行かない日は、だいたいこれくらいの時間に起きていた。
    そして、トイレへ行き、歯を磨いたりと、共同トイレは気を遣うので、嫌いだ。
    9時ごろ、一応、朝の仕度は終了。毎朝9時になるとスノーランドのおばちゃんが、部屋にお湯を入れに、勝手に部屋に入る。
    寝ていようが、パンツ姿だろうがおかまいなし。
    たまに、おばちゃんに起こされるときもあります。

     今日の朝飯は、久しぶりにお粥と肉まん。漬物もついて1元5角。
    スノーランドと同じ通りにある、この店には、よく行っているので、
    店員とも仲良しまでとはいかないが、毎日、中国語で「おはよう」くらいは言うようになった。
    だいたい朝は、こんな感じですが、チベット喫茶店へ行くことも多い。

    光明商店にて

     スノーランドの前にある、チベット喫茶店の名前は「光明商店」チベット語では、何て言うのか知らない。
    僕は、この店のざわついた、落ち着きのない雰囲気が、好きだ。
    近くのパン屋で、小さなパンを買い、それを持って、この店に入り、空いている席に座る。
    1杯、3角のミルクティーを飲みながら、ざわついた店内を見渡した。

    朝日が射し込まなければ、薄暗い店内には、男達がふかす煙草の煙が、宙を舞う。
    主婦なんだろうか?3、4人の女性が、トゥクパ(チベット風麺料理)を食べながら、雑談をしている。
    年季が入ったイスやテーブルには、たくさんの傷が付いていて、この店の歴史を感じさせる。
    大きなヤカンを持ったオバチャンが、店内を所狭しと歩き、空になった、小さなガラスのコップに、温かいミルクティーを注ぎ、そしてオバチャンは、テーブルに置かれた、お金を取り、お釣りを置く。
    僕の側をコップを3つ持った男が、空いている席を探しながら、通り過ぎた。

    みんなが何を話しているのかは、理解できないが、きっと何気ない日常なのだろう。
    この、ざわついた音と空間が、僕に、安らぎを与えてくれる。


     この店の何気ない日常に身を置き、僕もラサに来てからの、何気ない朝の日常を過ごした後、昨日と同じように、スケッチブックを持って、ポタラ宮の前へ行き、同じ場所に座り、昨日から描き始めたスケッチを始めた。
    旅のスケッチ第2弾は、ポタラ宮です。
    昨日よりも、だいぶん絵らしくなってきて、他人から見ても、何を描いているか分かるようになってきた。
    そのため多くの観光客が覗いては、何も言わずに、立ち去っていきます。

    午前10時半に絵を描き始め、お昼ご飯時の午後12時になった。
    12時になると、僕が絵を描いている場所を警備している警備員3人(と言っても私服)が「これから俺達は、昼飯を食べに行くから、その間、ここに居てくれ。」と、身勝手な言葉を残し、行ってしまった。
    昨日は、交代で昼飯に行ってたくせに。
    まぁ、誰かがここに居てれば良いことなので、それが外国人観光客だろうが、どうでも良いようだ。
    どうせ1時間ほどしたら、戻ってくるだろうと思っていたが、コイツ等が戻ってきたのは、なんと2時間後。
    その間、僕は、ひたすら絵を描いていた。
    おかげで絵に集中することができて、はかどったが、お腹が空きました。

    警備員が戻ってきて、やっと席を離れることが出来た俺は、宇拓路へ入る手前にある、カメラ屋やケーキ屋の間にある1軒の食堂へと入り、蒸し餃子と排骨面を食べた。いやぁー、なかなか美味しかったです。
    ご飯を食べ終わると、再びポタラ宮前に戻り、再び絵を描き始めた。

    左:ゴム飛びをして遊ぶ子供達 右:夕暮れの街角

     絵を描いている間は、かなり集中して描いているが、この集中力を途絶えさせるのは、地元の人達でした。
    昨日は、一人の子供と2時間ほど一緒にいるようになってしまいました。
    子供は、僕と遊んでいるのか?絵の邪魔をしているのか?
    おかげで絵は進まず、首筋だけが日に焼けました。
    そして今日は、お土産屋の少女達が、入れ替わり立ち替わり、僕の絵を眺めては、声を掛けてゆく。
    僕も、つい「トゥジャチェ(ありがとう)」と言って、言葉を交わしてしまう。

    午後4時過ぎ。絵を描くことに疲れたので、ペンを置き、昨日に続き、場所を貸してくれた警備員達にお礼を言って、スノーランドに戻り、部屋にスケッチブックと筆記用具を置き、替わりにカメラを持って、外へ出かけた。

     久しぶりの路地裏トラベラーとなり、バルコルの路地裏をブラブラ。
    夕方のバルコルの路地裏は、白く塗られた石壁に、オレンジ色の夕日が当たり、とても鮮やかだ。
    子供達は、サッカーやゴム飛びをして遊んだり、大人は家路へと。
    久しぶりに、カメラをぶら下げ、路地裏を歩いて、俺も少し、元気になったような気がする。
    僕の旅は、カメラをぶら下げ、街をブラブラして、そこで出会った人達や物、光景などの写真を撮ることだ。
    これが俺の旅の日常だ。

    ポタラ宮

     そして、旅立ちから53日目。ラサに来て22日目。
    一昨日から描き始めたポタラ宮の絵が、今日、完成いたしました。
    いやー、正直、疲れました。なんであんなん描こうなんて思ったのでしょうか?
    お土産屋のネーちゃんと警備員とは仲良くなれました。
    それと、首筋と腕が、日に焼けて赤くなりました。
    当分、ペンより重たい物を持ちたくはありません。

    24時間、日数にして3日間かかった、このポタラの絵は、今回の旅でお世話になった人に贈りました。
    今も大事にしてくれているだろうか?

    夕食は、一人で炒飯を食べた。
    旅に出て、いつも思う。一人で晩飯を食べるのは、寂しいと。
    午後8時45分のラサはまだ明るいです。最近、日が暮れるのが遅くなりました。

    ラサに来て、もう20日以上、行きたいと思っていた所も、全部行くことが出来たし、絵も完成したし、ネパールのビザも受け取ったし、少しずつだが、ラサを出る準備が整いだした。





    メルド・グンカルのゴンパ

     早朝の7時に、tinaさんと待ち合わせて、ジョカン前へ行き、カルマパ17世で有名になった、ツルプ・ゴンパ行きのバスを探したが、今日はバスが無いらしく、二人で、何処へ行こうかと考えながら、僕達は、まだ少し薄暗いバルコル周辺の旧市街を歩き、東バスターミナルへ移動した。

    ここから、今日は何処かへ行くつもりだ。
    僕達は、バスターミナル内のバスを見渡した。
    桑耶寺(サムイェ・ゴンパ)行き、尼木(ニャモ)行き、林周(ルンドゥプ)行き、墨竹工○※(メルドグンカル)(○※は、上と下を上下に書いた文字)などがあった。
    何処へ行きたいか、お互いにハッキリせずに、一旦は、サムイェ・ゴンパ行きのバスに乗り込んだが、
    「やっぱり、サムイェやめよう。」と、どちらかが言い、バスを降りて、バスターミナル内の屋台で、朝食のお粥と肉まんを食べながら、行き先を考えた。
    今日は、とても天気が良いので、何処かへ行きたかった。
    そして、何となく決まった行き先は、メルドグンカルだった。

    僕は、もちろん初めてだが、tinaさんは、一度行ったことがあると言っていたが、周辺のゴンパは、行ったことがないと言っていた。
    バス(ワゴン車に近い)に乗り込み、出発してまもなく、僕は寝てしまった。

    村の家屋。屋根の上には、乾燥したヤクの糞が並んでいる。

     メルドグンカルは、たいして大きな街ではなく、高い建物も少なく、通りには、商店や食堂が並び、通りの脇にある屋外ビリヤード場には、チベットの若者達が、これしかやることがないという感じで、ビリヤードをしている。

    tinaさんが、チベット語で、ゴンパまで歩いてどれくらいの時間が、かかるのかと、近くにいたオッチャンに聞いていた。
    僕達が、最初に行くゴンパは、街から約30分ほど歩いた所にある、カツェル・ゴンパ。
    道路工事中のため、砂埃が舞う中を歩き、畑が広がる風景が現れた。その先には、村が見えた。
    どうやらこの村の中に、ゴンパがあるようだ。

     僕達は、橋を渡り、村の入口に立った。
    とりあえず進んでみようと、村の中へ入っていった。
    この村のチベット家屋の屋根には、燃料となる、日干しされた丸い、ヤクの糞が、キレイに並べられていた。
    それに玄関には、魔よけなのか?ヤクの頭蓋骨が、飾られている。
    馬に乗った村人もいるし、いつまで経っても変わって欲しくない風景だ。

    しばらく歩くと、石壁が赤茶色に塗られたゴンパらしき建物が見えてきた。
    白いチョルテンが4基建ち並び、その下には、マニ車が並んでいる。
    僕達は、マニ車を回しながら歩き、階段を上がって、お堂の中へ入った。
    中では、僧侶が一人、叩くところが緑色の太鼓?を叩きながら、経を読んでいた。
    僕達は、話しかけることも出来ずに、お堂を後にして、次の建物へと入った。

    カツェル・ゴンパにて

    こは、ゴンパの炊事場だった。
    天井から差し込む光の下では、男が一人いて、お湯を沸かしていた。
    その他にも、肉を切っている男、野菜を切っている男がいる。
    「どうぞ」という仕草をされ、僕とtinaさんは、木の長イスに座り、湯飲み茶碗のようなコップにバター茶を入れてもらった。この頃になると、もうすっかりとバター茶に慣れて、けっこう飲めるようになっていたが、やっぱり美味しいとは、思わなかった。

    何回か、注いでもらい、そろそろラストスパートに入り、一気にバター茶を飲み干した。
    チベットでは、バター茶を飲み干すと、何回でも注がれてしまうので、もうそろそろ飲めない時など、注がれる前に、コップの上に手を置いて、もういい。と言うジャスチェーをして、僕達は炊事場を後にした。

     着た道とは違い、帰りは車道を通って、街へと戻った。
    清真食堂で、昼ご飯を済ませた後、僕達は、タクパ・ゴンパへ行くために、軽トラックタクシーの運チャンと値段交渉を始めた。
    街から、タクパ・ゴンパまでは、歩いて1時間半らしいが、それは地元の人の感覚で、僕達ならば、もっと時間が掛かるだろうという計算からだった。

    軽トラックタクシーに乗って、タクパ・ゴンパへと到着した。
    ここまで車で、十数分だったこともあり、帰りは、歩いて帰ることを、運チャンに告げた。
    タクパ・ゴンパは、3階建ての本堂と2階建ての僧坊が、口の形のように配置された伽藍で、チベットでは、今まで見たことがないような伽藍配置だった。

    タクパ・ゴンパにて

    ゴンパの中を僧侶に案内されて、入った。女人禁制のお堂もあり、そこは僕一人で見学した。
    そして僕達は、僧坊の一室に案内されて、またまたバター茶をいただいた。
    これでもう、本日6杯目のバター茶です。
    僧侶達もとても感じの良い人達で、親切だったが、みんなヒマそうな印象を受けた。
    タクパ・ゴンパには4人の僧侶しかいないと言っていたが、その4人が、僕達が歩くと、金魚の糞のように、後から、ひっついてきます。

     ゴンパを出た僕達は、近くの丘の木陰に座り、持ってきていたリンゴを食べながら、放牧されているヤクや羊を眺めていた。とても穏やかな風景だった。
    近くの小川の流れる水の音、照りつける太陽に、時折冷たい風が吹き付け、木の枝に着いた葉が揺れた。
    ゴンパの建物も、とても自然に溶け込んでいるように感じるし、僕達もこの風景の一部になったかのようにすら感じてしまう。

    また来てみたいなと思ってしまうくらい、とても居心地が良かった風景だったが、僕達は、タクパ・ゴンパを後にして、着た道を歩いて帰った。
    太陽がサンサンと照りつける中、カッパえびせんを食べたり、とりとめのない会話をしながら、アスファルトの道を歩いた。

     地元の人が言ったとおり、1時間半かかって、メルドグンカルの街に戻ってきた。
    ラサへ行くバスもあっさり見つかり、乗り込むが、バスは人を集めるために、通りを何往復も繰り返す。
    やっと、ラサに戻ってきたのが、午後6時30分。
    12時間のメルドグンカルへの小旅行、お互い日に焼けましたが、楽しかったです。

    タクパ・ゴンパ