聖なるガンガーの街、バラナシ

     まだ夜が明けていない、午前4時にブッダ・ガヤーの宿を出ると、目の前には、オートリキシャーが停まっていた。これを手配してくれて、見送りにも来てくれた、ラヴィスG.Hの管理人には、とても感謝をしているし、インド初の列車ってこともあり、精神的に、助かりました。

     ガヤー駅前に着くと、オートリキシャーを降りるまでもなく、屎尿の凄まじい臭いが鼻に突き刺さる。
    駅前は、悪臭で充満している。
    俺は、そのあまりにも強烈な臭いに耐えられなくて、思わず、ゲロを吐いてしまった。
    臭いでガマンできずに、吐いたのは、きっと生まれて初めての経験だと思う。
    中国の田舎の銀蠅がうごめくトイレでも、ラサの街角の野外便所でも、吐かなかった俺が、インドでとうとう吐いてしまった。メチャメチャ臭いです。

     駅に入ると、臭いはかなり風に流され、慣れてきたこともあり、気にならなくなった。
    さて、俺は一体、どの列車に乗れば良いのだろうか?と右往左往することもなく、見送りに着てくれていた管理人が、俺をちゃんと列車に乗せてくれた。
    車内は、汚いだろうと想像していたが、案外まともだった。
    俺は、2nd Sleeperの上のベッドには行かずに、下のベッドに座って、CDを聞いていた。
    隣には、インド人のオッサンが寝ているが、そんなのお構いなしだ。

    ガンガーから見た、バラナシ

     列車は、予定時刻よりも30分遅れで、出発した。
    ボケッと、車窓からの田園風景を眺めていたが、まだお腹の調子がよくなく、2回ほどトイレへ。
    出た物は、そのまま列車の外へと、穴が空いているだけのトイレだ。これって、インドらしいのか?
    時間が経つと、1段目のベッドがイスになり、2段目のベッドが背もたれになったが、もちろん手動です。
    俺の前に座っているオッサンが、「あれがバラナシだ。」と指を指して教えてくれた。
    ガンガーの川沿いに建っている建物の群を見て、スゴイ!と初めて見る景色にフツーに感動していた。

    カーシーと言う名の駅を過ぎ、バラナシ駅へ。
    オレンジ色の袈裟のような物を身にまとった、汚そうなオッサン達が、目に付く。
    駅から一歩、外へ出ると、早速来なさった、客引きインド人が。
    「オートリキシャー!」「リキシャー!」「ブッキングオフィース!」などと矢継ぎ早に声を掛けてくる。
    しかし、手を振り、「NO!」と言うと、あっさりと、その場から引き下がる。
    まぁー客は、俺一人じゃないし。

     俺は、ガート(沐浴場)近くに宿をとるつもりなので、駅前から、オートリキシャーに乗って、ガートを目指したはずだったが、何故か、一軒のゲストハウスへ。
    ガートに近ければ、ここでも良かったのですが、あまりにも遠いので、部屋も見ずに、ジュースを飲んで、出た。
    またリキシャーに乗ると、色々と連れ回されそうなので、歩いて、宿探しをすることにした。

    とりあえず、大通りに出て、人々に道を尋ねながら、ガートを目指して歩くが、クソ暑い中、リュックを背負って歩いているので、もうしんどいです。

    また、リキシャーが声を掛けてくるが、無視!
    一般人のインド人にガートまでの距離を尋ねるが、みんな返ってくる答えが、2kmだと言う。
    「そんな、遠いんかい!」と、結局は、リキシャーに乗ったが、2kmもなかった。

    上:通りで佇む牛達。

    下:沐浴をする人達。


    さぁ、ガートにも着いたし、宿探しを始めましょう。
    一人、意気込んでいたが、すかさず、インド人兄ちゃんが、「宿を探しているのか?」と寄ってきたので、其奴に付いていくことにして、たどり着いたゲストハウスは、最近有名な『フレンド・ゲストハウス』
    ここは、地球の歩き方にも載っていて、最近、日本人が多いらしいが、とりあえず中を覗いてみた。
    部屋は、最上階の良い部屋しかなく、予想以上に、日本人だらけだったので、パス。

    そして次は、兄ちゃんお勧めの宿、『プジャ・ゲストハウス』へ。
    しかし、ここで出会った日本人が、この近くの『ガンパチ・ゲストハウス』(GANPATI Guest House)の方が良いと、言うので、そっちに行くことにして、結局、ここに落ち着いた。
    ガンガーに面したテラスからは、茶色いガンガーが見渡せる。

     荷物を置き、シャワーを浴びて、洗濯も済まして、カメラをぶら下げて、外へ出た。
    入り組んだ路地裏には、ノロノロと歩く、牛たち。
    この牛は、いったい何処から、やって来て、何処へ行くのだろう?
    ずっと、ここに居座っているのだろうか?なんて、ことを考えながら、歩いていると、おっと!
    道端、いや中央にも、地面には、牛糞が!しかも、デカイし、たくさん落ちている。
    踏まないように、よけながら歩く。
    地元の人々も、牛をよけると言うか、避けるように歩いている。
    ここでは、神聖な牛ですが、邪魔なのか、ありがたいのか?臭いから、寄らないで下さい。
    そんな路地裏は、メチャメチャ、臭いです。

    路地裏にて

     ガートへ行けば、聖なるガンガーで沐浴をしている人々が、見られる。
    ガートは、もっと広い場所だと思っていたが、今は、雨期のため、川の水量が増し、ガートの階段の下部は、水の中だ。乾期ならば、水量が低く、各ガートがつながっていると、聞いていた。
    それにしても、ガンガーの水は、茶色く濁っている。
    みんな、その水に浸かって、または、飲んでる人もいる。
    もっと、水がキレイだったならば、足くらいは、浸けてみても良いかなと思っていたが、あまりの汚さに、触れるのもイヤだし、飛び散った水滴が、服や肌に付くのもイヤだった。

     今回の旅で出会った、旅人が、バラナシは好きだ。と言っていた理由が、バラナシに来て、少しは解ったような気がする。
    今まで、多くのアジアの街で、写真を撮ってきたが、この街ほど、写真を撮っていて、楽しい街は、なかなか無いような気がする。

     ガート近くの売店で、ラッシーを飲んでいると、宿探しの時に出会った日本人二人と出会い、3人で、お土産屋を眺めたりしながら、ブラブラと歩いたり、その後は、アルカ・ゲストハウスで3人で夕食。
    ガンガーが見えるテラスで、夕食を食べながら会話をした。
    二人とも出身は別だが、二人とも社会人で、やっと1週間の休みが取れて、インドに来て、アーグラー駅で出会ったことなど。
    年齢が近い二人とは、話しも合い、話しやすかった。

    左:食堂の少年 右:サモサなどのスナック屋

     夕食後、プジャーを見に行こうと、3人でガートへ行くが、終わる寸前だったので、何が何だか解らなかったが、個人的には、あまり興味がなかったので、残念な気持ちにはならなかった。
    それよりも、通りのお土産屋街が、まるで縁日のようだったので、そっちの方が、楽しかったです。
    俺は、ここで、葉っぱで出来たウチワを買ったが、かさばるので、邪魔になりそうです。

     この後、3人は、俺が泊まっているガンパチ・ゲストハウスへ行き、夜風に当たりながら、「インド、楽しいよね。」なんて話しをしたりと、楽しい一時を過ごすことが出来た。
    俺が、こんな風に、誰かと話しをするのは、シッキムでko君と話して以来だった。
    そして、明日、早朝のガンガーをみんなで見に行くことにした。




    手紙-バラナシにて

     今朝は、ボートに乗って、ガンガーを見るために、5時に起きて、5時半には、二人が泊まっている、プジャ・ゲストハウスへと向かった。
    そこには、すでに日本人数人が、集まっていて、彼等と一緒にガートへ向かった。

     時間は、午前6時。ガンガーが朝日に照らされ始め、汚いはずのガンガーは、とてもキレイに光り輝いている。
    俺は、早くボートに乗りたい気持ちを抑えるように、値段交渉に挑んでいる大学生君を見守っていたが、なかなか上手くいかないようだ。
    時間は、刻々と過ぎていき、太陽が昇り始める。
    「ちょっとくらい高くても良いやん、この瞬間は、今しかないねんから。」と、俺は思っていたが、大学生君は、「あいつは10ルピー高い!や、あいつはダメだ。」など、日頃の貧乏旅行の成果をこんなところで、いかんなく発揮。
    「おまえ一人で、ボートに乗るんとちゃうねんから、10ルピーくらい、いいやん。」と本音とは裏腹に、柔らかく言うが、大学生君は、そのポリシーを頑として曲げない。
    さっき、初めて会った者ばかりで、気心が知れる相手では無かったので、みんな気を遣い、黙って見るしかなかったが、周りの日本人も少々、呆れ気味。
    結局、俺達がボートに乗ったのは、ガートに着いてから、20分以上経った頃だった。
    たった10Rs(25円)のために貴重な朝の時間を台無しにしてくれた。

    沐浴する人達で賑わう朝のガンガー

     1時間ほどのガンガークルージングを終え、今度は、みんなで、朝飯を食べに行こうと誘われたので、みんなと行動を共にするが、日本人数人が集まると、かなりウザイ。インド人よりもウットーシーです。
    やれ、ここは何だかんだなんぞ言い、店が全く決まらない。
    俺は、どこでも良いし、みんなもそう思っているが、みんな気を遣い、決まらないのだ。
    そんな状況にイライラ感を募らせた俺は、一団から、脱退して、一人で朝飯を食べに行くことにした。

    あっー!スッキリした。
    もう息が詰まって、なんのためにバラナシに来たのか、分からなくなりそうだった。
    食堂へ行くが、あまりお腹は空いてなくて、スナックのようなカチョウリを食べただけだった。
    そして、ネット屋へ行き、自分自身のホームページの掲示板に旅で出会った人達や、日本にいる友達、そして、バラナシが好きと言っていた人に、伝わればと思って、「手紙」と称した題名の書き込みをした。

    左:ガート 右:沐浴風景

    --こんにちは、元気ですか?
     日本もインドと同じくらい暑いんでしょうね。
     旅立ちから、今日で150日も経ちました。
     今は、ヒンドゥーの聖地、バラナシに来ています。

     バラナシが好きと言っていた人がいました。
     この街に来て、その理由が分かったような気がします。
     入り組んだ狭い路地に、まるで壁のように横たわる牛、路地には牛糞。
     人々は、そんな路地を歩くというか、うごめいている。
     路地、人、牛という構成が、またいい絵になります。
     臭いが伝わらないのが、残念ですが。

     それに、ここはガンガー抜きには考えられない街、早朝、夜明けと共に
     人々はガンがーに集い、沐浴をする。
     俺としては、こんな汚い河に、触れたくもないんですが。

     ボートに乗って、ガートを見ました。乾季には、もっと水位が低く、各ガートが
     つながっていると聞きましたが、今はガンガーの水位が増し、階段の上部までしか
     行くことができませんが、ガンガーで沐浴をする人々、それに色とりどりのサリーを
     身に纏った女性は、写真を撮っていて飽きさせません。

     俺もこの街が、気に入りましたが、暑さのため、夏バテしています。
     今は、ちょっと避暑地へ逃げようかと思っています。
     アーグラーへは、あとから行こうかなぁーと考えています。
     こんな暑かったら、絵なんか描けない。

     じゃぁ、また。--

    左:ガート近くで絵葉書を売る少女 右:路地裏にて

    しばらくガートや路地裏を散策をして、やっとお腹が空いたので、食堂へ行き、マトンカレーを食べた。
    もちろん、スプーンを使わずに、手で食べました。
    その後、バラナシ駅へ行き、アーグラー行きのチケットを買いに行ったが、パスポートがいるらしく、チケットは買えなかった。
    しかし翌日、パスポートを持って、買いに行ったが、パスポートなんか見せることなく、アーグラー行きの列車のチケットは、取れました。

     インドの低地に来て、2つ目の街、バラナシもたいがい暑く、高地へ逃げたかった俺は、カトマンドゥで出会った、makiさんが滞在している避暑地、ナイニタールへ行く気満々だったが、先ほどネット屋でメールを確認したところ、カトマンドゥに戻ったようなので、俺のナイニタール行きは、無くなり、予定通り、アーグラーへ行くことにした。

     晩ご飯のチョウミンを宿のテラスで、ガンガーを眺めながら食べた。
    バラナシは、3泊4日という、短い滞在でしたが、インドの楽しさが詰まったような街。
    ガート近くは、これぞインドと思う感じがしたし、街の南にある、バラナシ・ヒンドゥー大学は、美術館もあり、静かで、ガート近くの喧騒とは、かけ離れた、穏やかな所だった。
    ガンガーがある、聖地バラナシは、動と静を持ち合わす、素敵な街、そして、また来たいと思わせる、魅力的な街でした。

    茶色のガンガーの流れは、今日も速い。
    さぁ、列車に乗って、アーグラーへ。