ラダックのゴンパ巡り

     朝7時頃に目が覚めたが、何となく、やる気が出ず、ベッドから、なかなか出ることも出来ず、タバコを吸い、重い腰を上げて、洗顔、歯磨き、コンタクトを入れ、窓から、レー王宮を見て、「今日も晴れやね。」と確認をして、やっと外へ出る気になった。
    レーの街も、随分と歩いたので、今日からは、郊外へと足を伸ばして、ゴンパ巡りをしようと思っている。
    “ゴンパを巡る。”
    チベット本土でも、ネパールでも、シッキムでも、こればっかりしている。
    自分でも、これ以外にやることないのか?と思ってしまうが、チベット文化圏に関しては、ゴンパ、仏教が、人々の生活に密着しているだけに、切っても切れないものが、有ります。
    そのため、名所、旧跡などが、ほとんどゴンパなのです。

     まず最初は、ラダック最大のゴンパ、『ヘミス・ゴンパ』へ行こうと、メイン・バザールを通り、その先にあるバススタンドへと向かった。
    朝8時前のレーの商店は、閉まっている店が、ほとんどだ。
    バススタンドに着き、人に聞きながら、へミス・ゴンパ行きのバスを見つけるが、出発は、今から1時間以上も待たなければならなかったので、僕は、行き先を変更し、『ティクセ・ゴンパ』へ行くことにした。
    バスは、あと20分ほどで出発する。

    ティクセ・ゴンパ

     8時半ちょうどに出発したバス(15Rs)は、30分ほどで、ティクセ・ゴンパがある村に到着した。
    途中には、シェイ・ゴンパや周辺のチョルテン群などが、好奇心をそそったが、これらは、帰りに行くことにして、僕は、岩山にそびえるように建つ、まるで城郭のような、ティクセ・ゴンパへと向かった。
    岩山の頂には、お堂が建ち、中ほどには、僧坊が建ち並んでいる。
    「メチャメチャかっこいい!」全体の風景写真を撮りながら、そう思った。

    ゆっくりと歩みを進めて、ゴンパへと近づく。
    時折、僧侶に出会うと、「タシデレーやジュレー」などと挨拶を交わしながら、歩いた。
    それにしても、岩山にそびえ建つゴンパを登のは、とてもしんどいし、高地なので、かなり息が上がる。
    ラダック地方のゴンパが、岩山にそびえるように建っているのは、俗世間から離れるためだと、なんかの本で読んだことがあったのを思い出した。

    ティクセ・ゴンパには、いくつかお堂があるが、ここで一番有名なのが、高さ15mにもおよぶ、チャンパ(弥勒)この仏像は、お釈迦様が亡くなってから、56億7千万年後に、この世に現れるという、未来仏らしい。
    僕も、他の巡礼者と同じように、お堂の2階へ行き、顔の位置ほどの高さから、手を目がけて、白い布のカタを投げ入れた。

    左:ティクセ・ゴンパのチャンパ 右:ティクセ・ゴンパからの眺め

     ゴンパを降りて、少し早いが、ティクセ・ゴンパの近くのゲストハウスの食堂で、昼ご飯を食べた。
    フライド・ライス(焼き飯)を食べたが、量が多くて、食べ終わるのにかなり時間を費やした。
    イスに座りながら、空を見上げた。
    このまま、ここで一日を過ごすのも悪くはない。きっと、夜空は無数の星達が、輝いて綺麗な夜空を見せてくれることだろう。澄んだ空が、闇へと変貌する瞬間を見てみたい。
    でも、それまでの時間を待つことは、僕には、苦痛に感じることだろうと、我に返り、再び空を見上げた。
    それにしても、気持ちの良い空だ。緑が映える。

     昼食を食べ終わり、少し休憩をした後、ティクセ・ゴンパを後にして、シェイ・ゴンパへと歩いて向かった。
    強烈な太陽の日差しと、青しかないほど青すぎる、澄んだ空。
    連なる、岩肌がむき出しの山々。
    大地には、石がゴロゴロと転がり、崩れかけた白いチョルテン群。
    そして、大地を二分している、黒いアスファルト道が、どこまでも延びている。

    こんな風景、街からかなり離れたところへ行かないと、見られないと思っていたが、ラダックでは、全てがこのような所だった。
    僕は、白いチョルテン群の大地へと足を踏み込んだ。
    何故、こんなところに白いチョルテン群があるのかなんて、僕は知らないが、力強くて、圧倒的だ。
    人っ子一人、見えない大地を、歩き続けた。
    チベット本土では、これほどの風景を見たことはなかった。
    あまり、奥へ行くには、不安だったので、ある程度のところで引き返し、再びアスファルト道を歩き出した。

    シェイ・ゴンパへ向かう途中に見えた、チョルテン群

     『シェイ・ゴンパ』も、ティクセ・ゴンパと同じように、岩山の上に建っていた。
    さらに、その山の上には、ゾン(城)のような、建造物も見えた。
    小さな王宮跡もあるが、2004年9月の時点では、修復中であった。
    階段を登って、お堂へ向かう途中のお堂前には、二人のチベット人のオバサンとお婆ちゃんが、座っていて、彼女たちは、僕を見て「ギャミ(中国人)だ。」と会話をしていたので、僕は、この旅で覚えたチベット語を使って、「中国人じゃないで、日本人やで。」と話すと、二人はビックリした表情で僕を見返した。

    僧侶に扉を開けてもらって、お堂の中へ。
    壁画がとても見応えがあったのを覚えている。
    ラダックのゴンパには、チベットでは見なかった、ドルジェ・リンポチェの写真が飾られている。
    写真の彼は、なかなか賢そうな表情をしていました。

    お堂を案内してくれた僧侶が、部屋で、ミルクティーかブラックティーでも飲むか?と聞いてきたので、僕はせっかくこの地方にいるのだから、久しぶりにバター茶を飲んでみたくなって、バター茶が飲みたいと言うと、僧侶は、わざわざドンモ(バター茶製造器)を使って、作ってくれた。
    「美味しいか?」と聞かれたが、正直、チベットのときほど、美味しいとは思わなかったが、わがままを言って、作ってくれたので、美味しいと答えた。

    左:シェイ・ゴンパ 右:シェイ・ゴンパにて

    久しぶりのバター茶を3杯ほど飲み終えて、僧侶に礼を言って、部屋を後にして、ゴンパの上にある、城跡へと向かったが、あまりにも上り坂が、きつかったため、途中で止めましたが、眼下に広がる、白いチョルテン群の景色は、圧巻だった。

     シェイ・ゴンパを後にしたあと、歩く気力がないくらい疲れていたので、ゴンパ前のバス停で、バスを待っていたら、目の前に、一台の白いワゴン車が止まり、中から日本人らしき女性が出てきた。
    僕は、彼女に日本語で声を掛けてみた。
    彼女も日本語で、返してきたので、ティクセ・ゴンパから歩いてここまで来たことなどを話すと、彼女は、「これから、シェイ・ゴンパを見た後、レーへ戻るから、良ければ一緒に帰りましょう。」と。
    助かりました。ありがとうございます。

    彼女の名前はkoeさん、会社の休みを利用しての1週間の旅行だと言っていた。
    年齢は、僕よりも少し上のようだ。
    話しの内容や口調から、なかなかあっさりとした、感じの良い人です。
    レーまで、車に乗せてもらい、食堂で旅の話しや日本や会社の事など話し、ご飯を食べた。

    部屋に戻ると、かなり疲れていたこともあり、すぐに寝た。





    ストク村へ

     午前7時に、昨日のレストランの前で、tomoさんと待ち合わせをした。
    ちゃんと出会えるか不安だったが、二人とも、時間に遅れることなく会うことが出来た。

    今日、一緒にストク・ゴンパへ行くことになった、tomoさんと出会ったのは、昨日、ポロ広場でだった。
    ラダック・フェスティバルの出し物を見学していたら、俺が立っている近くに、彼女がいた。
    彼女は、鼻の穴に丸めたティッシュを詰めていて、しんどそうな表情をしていたので、そんな彼女を見て、「大丈夫ですか?」と声を掛けたのが、最初だった。

    彼女は「急に鼻血が出てきて、止まらなくて。」と言う。
    彼女の姿をよく見ると、手や服には、血が付いている。
    かなり無理をして、ここにいるような気もしたが、もう血も止まり、大丈夫だと言うので、少し立ち話をした後、一緒に夕食へ行くことになった。

    フォート・ロード沿いのレストランへ着き、僕達は、チキン・フライドライス(鶏肉焼き飯)とトマト・スープ、チーズ・パコダ(チーズ空揚げ)を食べながら、旅の話しをしていた。
    彼女は、まだレーへ来て、2日目だと言っていた。
    それと、去年、チベットのラサに行っていたということなど。
    そんなチベットが好きな彼女と一緒に、ストク・ゴンパへ行くことになった。

    ストク・ゴンパ
     フォート・ロード沿いのレストランから、バスターミナルまで、話しをしながら歩いて向かう。
    天気は今日も晴れで、気持ちの良い晴天だ。
    バスターミナルに着き、バスの発車時刻を調べると、あと10分ほどだったので、果物屋で朝食用のバナナを買って、すぐにバスに乗り込んだ。

    バスの車内は、すでに満席で、俺は、座席に座ることが出来ずに、立っていた。
    なんか、朝の通勤の時間帯と重なったようだ。
    そんな通勤バスですが、車内には、インド音楽が鳴り響き、ワイワイガヤガヤと話し声が絶えない。
    一人で現実の音を遮るように、耳を塞ぎ、表情を変えることのない日本の通勤より、こっちの方が、明るくて、健全だと思った。
    40分ほど、バスは走り、ストク・ゴンパの近くまで来たので、僕達はバスを降りた。

     窮屈だったバスとは違って、外の風景は、清々しくて、気持ちの良い風景が広がっている。
    遠くには、雪を抱いた山脈、そして、青すぎる空に、高くそびえる木々、目の前には、石垣や土塀に囲まれた大麦畑、畑の側を流れている小川の水は、雪解け水なのか、ひんやりと冷たい。
    白いチョルテンも点在している。
    そんなラダックの気持ちの良い風景の中、僕達は、さっき買った、バナナやリンゴを食べながら、ストク・ゴンパを目指した。

    こういう風景と出会っても、一人だと、誰とも共有出来ない寂しさが、募ったりするが、二人だと、反対にテンションが上がったりもする。

    ストク・ゴンパにて

     ストク・ゴンパへ着くまでに、どこかで朝食を食べたかったが、あいにくどこにも食堂や売店がなかったので、木陰の下で、水を飲んだりしながら休憩。
    僕達が、休んでいると、目の前のゴンパから、僧侶がやって来て、僕達から先に「タシデレー、ジュレー」と挨拶をした。
    そして、僕がチベット語で、「どこかに食堂や茶店は、ありますか?」と聞いたところ、僧侶は、中へ入ればある。と言うので、僧侶に案内されて、僕達は、チョルテンの門をくぐって、ゴンパの中へ。

    あまり大きくはないが、お堂と僧坊がある。
    お堂の扉の鍵が閉まっていたので、僧坊へと入ると、読経をしている僧侶と、何かやっている僧侶がいたので、読経のジャマにならないように、何かをしている僧侶に「お堂の鍵は?」と声を掛けた。
    あいにく、今は、鍵を持っている僧侶が不在らしく、お堂の中へは入れないようだ。
    僧侶が「まぁまぁ、ゆっくりしていきなさい。」という感じで、僕達の前に、ビスケットとミルクティーを出してくれた。これは、お腹が空いていた僕達にとっては、とても嬉しい出来事だった。
    二人の僧侶は、ラダック出身の人で、これからレーへ行くと言いながら、身支度を整えている。
    僕達は、出されたミルクティーとビスケットを食べ終えると、僧侶と共に、この部屋を出た。

    ストク・ゴンパにて

     再び、tomoさんと二人で、ゴンパ内を歩いていると、最初に出会った僧侶と会い、彼が、別の僧坊へと案内してくれた。
    部屋の中には、年老いた僧侶と若い僧侶がいた。
    この部屋は、若い僧侶の部屋で、VCDプレーヤーやTVがあり、寝床も俺が泊まっている宿のベッドよりもフカフカで、なかなか快適のようだ。
    ここでもミルクティーが出され、そしてパンも出されたので、それを食べながら、僧侶二人とお話。

    二人の僧侶は、共にラダック出身で、年老いた僧侶は、ストク・ゴンパにやって来て、6年経つと言っていた。若い僧侶は、25歳で、俺よりも年下だ。
    tomoさんは、俺の想像よりも若い、22歳だった。

    tomoさんのリードで会話が続き、この部屋にあった、英語とチベット語の本を見ながら、年老いた僧侶が僕達に、チベット語を教えてくれた。僧侶がチベット語をしゃべり、それに続き、僕達同じようにしゃべる。
    右から左へ、しゃべった先から、抜けていく感じで、覚えられなかったが、僕は、食べ物のところだけ、メモを取って、覚える努力をした。
    若い僧侶は、この本で、英語を勉強していると、胸を張って言っていたが、そのわりには、本が綺麗すぎた。
    お堂の鍵を持っている僧侶が、戻ってきたらしく、僕達は、お堂を見学して、僧侶との記念撮影。

     記念撮影を終えて、僧侶達とストク・ゴンパに別れを告げた後、僕達二人は、ゴンパを通り抜けて、丘の上へと向かった。チョルテンとマニ塚があり、景色がとても良く、山がとてもキレイだった。
    僕達は、景色を楽しみながら、アスファルトの道を歩き、ゆっくりとストク王宮へ向かった。
    そして、4つの大きなチョルテンにむかいられるように、王宮へ。
    隣に建っている、テレビ塔なのか?無骨な鉄骨の建造物が、景観の邪魔をしている。
    日差しもきつくなり、暑くなってきた。

    ヘミス・ゴンパにて

    王宮と言っても、このストク王宮は、ラダックと言う国が無くなってから、建てられた王宮なので、豪華絢爛な感じはなかったが、それでも大きいです。
    階段を登り、中庭に行き着くと、チュパ(民族衣装)を着た、係りの人がいて、30Rsのチケット代を払い、公開されている4つの部屋と一つのお堂を案内してもらった。

    部屋には、王女が身につけていたアクセサリーや服、それに王の服が展示されていて、壁には、ラッダク・ロイヤル・ファミリーの写真や王女の活動の記録写真が飾られている。
    写真は、王女の写真が多く、見た感じ、頭が良さそうな人で、ラジオの収録時の写真や、政治家らしき人物と写っている写真があった。

     次の部屋には、剥製が飾られてあったが、この剥製の顔が、かなり間抜けな感じに映ってしまい、二人して、ヒマラヤ・ヒョウの剥製を見て、笑ってしまった。
    タンカが、数多く展示されている部屋では、俺よりもtomoさんが、とても熱心に見つめていた。
    お堂は、へミス・ゴンパの分院らしく、小さいながらも、良い感じで、水牛の頭をしているドルジェ・ジクジェや赤い馬に乗っている仏像?なんかも興味をそそられた。

    見学できる全ての部屋を見終わって、中庭のイスに座りながら、冷たいサイダーを飲み、休憩。
    この王宮の部屋数は、80だと言われるが、5つ見ただけで、もう満足な気持ちになれたし、これ以上、見たいとも思わなかった。

    へミス・ゴンパ

     王宮を後にした二人は、ストク村をブラブラと歩く。
    小さなゴンパがあったが、あいにく扉は閉ざされていた。
    マニ車が置かれたお堂の側では、子供達が遊んでいたので、「ジュレー(こんにちは)」と声を掛けたり。
    その子供達の遊び場の先には、大麦畑が広がり、家族だろうか?一家総出で、歌を歌いながら、大麦を刈っている。その歌声は、青く澄みきった空に、響き渡っていた。

    歩くのにもかなり疲れたので、トラックが来たら、ヒッチをしてみようかと、tomoさんと相談していると、そこへ運良く、一台のトラックが現れて、手を挙げて、ヒッチを決行。
    運良く成功して、僕達はトラックの荷台に乗せてもらえることとなった。
    レーへ行く途中の小さな街、チョグラムサルまで、荷台に乗った僕達は、ラダックの風を体全体に受けて、メチャメチャ、気分爽快で気持ちいい!

     その後、バスに乗って、レーの街へ戻ってきた。
    「楽しかったー。」とお互い言い合い、酒屋へ行き、ビールを買って、レストランへ持ち込み、乾杯!
    標高が高いので、酔うのが早いです。
    今夜は、グッスリ眠れるだろう。tomoさんありがとう。

    帰国後、この時のフィルムを現像に出したが、現地で買った、変なフィルムを使ったため、何も写っておらず、真っ黒なネガだった。最悪に残念です。