ターフ・クラブのモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテット
アルバム名 : Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet
/Live at The Turf Club
アルバム番号: Resonance HLT-8015
リリース国 : USA
リリース年月: 4/2014
メディア : 10inch-LP
2014年4月19日にレゾナンス・レコードから10インチ装丁で2枚のレコードがリリースされた。
一枚は《Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet/EPIC HLT-8014》、もう一枚はここに
紹介する《Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet/Live at The Turf Club/Resonance
HLT-8015》いずれも1954年から56年にかけて結成されインディアナポリスを中心に活動したグループ
の貴重な音源である。
前者で〈ラヴ・フォー・セール〉だけがCBS/コロンビア・レコード《Various-Instrumentalists Alm-
ost Forgotten/Columbia FC38509》として1983年に日の目を見ていたが、これほど多くの音源が一度
に発掘されたことは極めて珍しく驚きの一言に尽きる。
ライナーノーツには「これらのレコーディングは当時22歳のバトラー大学の学生、フィリップ・カー
ルが行ったものです。
彼は1950年代中頃、「インディアナポリス周辺でウェス・モンゴメリと彼の兄弟たちを追っかけてい
ました。」そのカールが3回に渡って録音をしたということです。
そして更に貴重なのは1956年かのターフ・バーでのライヴ音源と言うことです。
Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet/Live at The Turf Club
Wes Montgomery(g), Buddy Montgomery(p), Monk Montgomery(b), Alonzo Pookie" Johnson(ts),
Robert "Sonny" Johnson(ds)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Aug 25,1956
Wes's Tune [6:05] Resonance HLT-8015
Fascinating Rhythm [4:21] -
Six Bridges to Cross [2:50] -
Caravan [4:49] -
Django [5:51] -
Wes Montgomery(g), Buddy Montgomery(p), John Dale(b), Alonzo Pookie" Johnson(ts),
Robert "Sonny" Johnson(ds), Debbie Andrews(vo)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Nov 8,1956
Going Down to Big Mary's [3:24] Resonance HLT-8015
レゾナンス・レコードはこれらの音源を、バディ・モンゴメリの未亡人であるアン・モンゴメリか
ら2011年に入手したと言う。
「アンはレゾナンス・レコードにやってきて、バディがこれらの録音のコピーとこれまでに公表さ
れていないターフ・バーでの写真を持っていたことを伝えました。これらのレコーディングは素晴
らしい演奏が詰まっている凄い発見でした。」ということらしいです。
1940から50年代、インディアナポリスでは、20店以上のクラブやライヴ・ハウスが点在していた。
一般的に、主要なクラブは主に黒人が住んでいる街の大通りに面しているか、またはそれに近い場
所にあった。
インディアナ大通りと、オハイオ通りとの交差点から、新しい住宅プロジェクト、ロック・フィー
ルドガーデンにかけてのインディアナ大通りの一部(ウオーカー劇場付近)が最も賑わっており
"The Avenue(大通り)" として知られていた。
しかし、ターフ・バーはそんな中心から少し外れた場所にあった。
というのは、今回発掘リリースされたこのアルバムのジャケットに使われたフライヤーに住所が書
かれてあった。
確かに "公表されていないターフ・バーでの写真" もあったと言うが、このフライヤーが本物か、
デザインとして作られたものか分かりませんが、所在地は信用できるものと思う。
その、16番通り西2320番地を地図で示すと次のようになり、モンゴメリ・ジョンソン・クウィンテ
ットがプロ・デヴューを飾ったターフ・バーがこの辺りにあたった。
ななめの赤いラインで示した部分が "The Avenue(大通り)" で、プロットAが賑わいの中心ウオー
カー劇場です。プロットBがターフ・バーのあったところです。今は取り壊されているようですが。
ウェスの50年代を語る上で伝説的に必ず出てくるのが、ミサイル・ルームとこのターフ・バーであ
る。
1959年リヴァーサイドとの契約書にサインしたのがミサイル・ルームであったが、そのウェスの初
レコーディングについてキープニュースは当初ターフ・バーでのライヴ録音が良いと考えたそうだ。
「ウェスが率いるトリオのエキサイティングなパフォーマンスを録るには、いつものレパートリー
をいつも演っている場所で行うのが最良だ」と思ったそうである。
しかし、契約を交わしたということで当時としては成功を目指すには先ずニューヨークへ移住しな
ければならないと言うことが必須条件でしたが「移住できない条件を沢山抱えている若手ミュージ
シャンも少なくなく、ウェスも6人の子持ちで7人目の出産日が近いことから叶わぬこととして、
レコーデイングの段取りは距離と時間を考慮すればよい」と考えたそうである。
それで「初レコーデイングはニューヨークが相応しいと思うのは信頼できるスタジオがあり、優れ
たエンジニアを使うことで最小のスタッフで済むことからウェスのプレッシャーを和らげることが
できると考えたからだ。」という細やかなキープニュースの配慮があった。
でも、反面ターフ・バーでライヴ録音して欲しかったという気持ちもあったからこそ、今回の発掘
音源がいかに貴重なものかおわかりいただきたい。
ウェスのプレイを聴いてみて、まだ成熟過程にあるとはいえ〈キャラヴァン〉での速いパッセージ
のこなし、〈ジャンゴ〉での伸びやかテーマに続き倍速即興でのグルーヴ感、そして〈ゴーイン・
ダウン・トゥ・ビッグ・マリーズ〉では珍しいヴォーカルでのコンピングなど、聴きこんでいくと
当時にタイム・ワープした感覚に落ち込んでしまうのは私だけでしょうか。
モンクがシアトルに移住したのがモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットとしてニューヨーク巡
業から帰ってからの1955年という話もあるが、恐らく56年末にクウィンテットは解散した。
モンクは当初シアトルとインディアナポリスを行ったり来たりしておりその不便さから解散したの
か、解散したからシアトルに移住したのか、詳細不明である。いずれにしても、素晴らしいクウィ
ンテットに感動した。
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