第三弾レゾナンスレコードのウェス
アルバム名 : Wes Montgomery Early Recordings
frome 1949-1958In the Beginning
アルバム番号: RESONANCE HLP9014,HCD2014
リリース国 : USA
リリース年月: 3/2015
メディア : LP,CD
豪華なボックス入り3LPと2CDのセット
ゼヴ・フェルドマン制作によるレゾナンス・レコードはウェス・モンゴメリ50年代の発掘に関して
2012年3月リリースの《Wes Montgomery/Echoes of Indiana Avenue/Resonance HCD-9011,HCD-2011
》では1957-58年にかけてのインディアナポリスでのスタジオやクラブでのライヴ録音だった。
続いて第二弾はコレクターズ・アイテムとして2枚の10インチ・レコードが2014年4月にリリース
された。1955年クウィンシー・ジョーンズの制作でモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットのオ
ーディション録音とされた《Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet/EPIC HLT-801
4》と1956年ターフ・バーでのライヴ録音《Wes Montgomery and The Montgomery-Johnson Quintet/
Live at The Turf Club/Resonance HLT-8015》である。
そして第三弾となったのが《Wes Montgomery in The Beginning-Early Recordings from 1949-
1958》で、2枚組CD(Resonance HCD-2014)と1500枚限定の3枚組LPレコード(Resonance HLP-9014)
が2015年3月5日にリリースされた。
この、第三弾は挿入曲に誤解を招く部分があるので明らかにしておく。
つまり、第三弾は第二弾の2枚の10インチ・レコードを重複しての全26曲である。2枚組CDでディ
スコグラフィを記載すると下記のようになる。*印の11曲が先行リリースとなった第二弾である。
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《Wes Montgomery in The Beginning-Early Recordings from 1949-1958/Resonance HCD-2014》
【CD-1】
THE MONTGOMERY-JOHNSON QUINTET
Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b) Alonzo Johnson(ts) Robert "Son-
ny" Johnson(dr)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Aug 22,1956
1.After You've Gone [4:59]
omit: Alonzo Johnson(ts) Probably percussion is Alonzo.
same date
3.Brazil [4:13]
THE MONTGOMERY-JOHNSON QUINTET
Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b) Alonzo Johnson(ts) Robert "Son-
ny" Johnson(dr)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Aug 25,1956
*2.Fascinating Rhythm [4:23]
4.What Is There to Say [5:45]
5.Four [5:28]
*6.Wes' Tune [6:06]
7.My Heart Stood Still [5:58]
*9.Django [5:53]
omit: Alonzo Johnson(ts)
same date
*13.Six Bridges to Cross [2:53]
omit: Buddy Montgomery(p) add: Probably percussions is Alonzo and Buddy.
same date
*12.Caravan [4:51]
BUDDY MONTGOMERY QUARTET
Buddy Montgomery(vib) Wes Montgomery(b) Jack Coker(p) Robert "Sonny" Johnson(dr)
Live at the home of Ervena Montgomery, Indianapolis; Sep 8,1956
14.Ralph's New Blues [7:00]
WES MONTGOMERY WITH DEBBIE ANDREWS
Wes Montgomery(g) Debbie Andrews(vo) Buddy Montgomery(p) John Dale(b)
Robert "Sonny" Johnson(dr)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Nov 8,1956
*10.Going Down to Big Mary's [3:26]
WES MONTGOMERY DUO
Wes Montgomery(g) Debbie Andrews(vo)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Nov 8,1956
11.I Should Care [3:25]
note: almost a duo of Wes and Debbie.
THE MONTGOMERY-JOHNSON QUINTET
Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) John Dale(b) Alonzo Johnson(ts)
Robert "Sonny" Johnson(dr)
Live at the Turf Bar, Indianapolis; Nov 20,1956
8.How High the Moon [5:13]
【CD-2】
WES MONTGOMERY QUARTET
Wes Montgomery(g) Melvin Rhyne(p) Flip Stewart(b) Paul Parker(dr)
Live at the Missile Room, Indianapolis; Nov 22,1958
1.Soft Winds [11:58]
omit: Melvin Rhyne, Flip Stewart. add: Richie Crabtree(p) Monk Montgomery(b)
same date
2.Robbins Nest [12:30]
3.Night in Tunisia [5:17]
THE MONTGOMERY-JOHNSON QUINTET
Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b) Alonzo Johnson(ts) Robert "Son-
ny" Johnson(dr)
Record Producer and Composer: Quincy Jones
Columbia 30th Street Studio, N.Y.C.; Jun.15,1955
*4.Love for Sale [3:53]
*5.Leila [2:56]
*6.Blues [3:18]
*7.Undecided [3:07]
*8.Far Wes [3:18]
WES MONTGOMERY QUINTET
Wes Montgomery(g) Alonzo Johnson(ts) unknown(p) unknown(b) unknown(dr)
Live at C&C Music Lounge, Chicago IL; 1957
9.All the Things You Are [12:04]
Originally Recorded by GENE MORRIS for Spire Records:
Gene Morris(ts) Wes Montgomery(g) Douglas Duke(p) Roy Johnson(b) Earl Walker(dr)
Fresno, CA; 1949
10.King Trotter [2:38] Spire 11-003
11.Carlena's Blues [2:51] Spire 11-004
12.Smooth Evening [2:54] Spire 11-004
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最後に挿入された【Originally Recorded by GENE MORRIS for Spire Records】とあるスパイアと
いうマイナー・レーベルからの3曲について先に説明する。
ゼヴ・フェルドマンはライナー・ノーツで「私はウェスの草創期を制覇するにあたり最後に偉大な
録音を発見をした。」つまり、ウェがハンプトン楽団に在団したころカリフォルニア州フレゾノに
あったスパイアというレーベルの2枚のSP盤に残されたウェスを見つけたという。
「極めて希少なレーベルはアメリカ国会図書館ですら収蔵してなくて、世界中のコレクターから探
すほかなかった。(注: 手前ながら7-8年前にSpire 11-003を探し当てたが、あと一枚はまったく手
がかりなしやはり超ド級品か)ようやくSpire 11-003をニューアークにあるラトガーズ大学ジャズ
研究所から借り受け、Spire 11-004はインターネットでオーストリア在住のコレクターを探し当て
た。全4曲のうち既に〈Rocking' With G.H.〉はリイシューされていたことから外したが、ほとん
どの人が聴いたことのないこれらの曲を収録しない手はなかった。もちろん他にもハンプトン時代
の録音にウェスが参加している事は知っていたが、彼の存在感の薄い挿入曲は見合わせることにし
た。」
本当にこの挿入が妥当かどうか有難迷惑的な複雑な気持ちと疑問を抱かせたリリースと感じる。
確かにゼヴのサービス精神と努力は認めるが、彼の当初からの趣意により『発掘』をイメージする
ことから【発掘仕掛け人】【世界の発掘男】と言われるならこれら3曲を見合わせたほうがよかっ
た。なぜなら極めて希少なレーベルからとは言え所詮リイシューである。
ゼヴが外したというヴォーカルのソニー・パーカーとジーン・モーリスの共作とされる〈Rocking'
With G.H.〉はコンピレーションLP《The Best of Blus Shouters/Riverboat 900.263》に続きリイ
シューCD《Sonny Parker The Complete 1948-1953/BlueMoon BMCD 6003》にも挿入されており、
〈Rocking' With G.M.〉との記載はモーリスのイニシャルに訂正されていることによるものである。
そして、ゼヴも見落としていたが〈Carlera's Blues〉は同リイシューCDにも挿入されている。
ハンプトン時代の録音は大手のデッカを始め全てSPレコードとなるが、実は他にもマイナーとして
アラディンというレーベルにもウェスの録音が残されている。
ディスコグラフィを細かく見れば気づくと思うが1949年録音とはっきり言えるものでソニー・パー
カーのブルーズのバックとして参加している。
スパイヤーとよく似たメンバーであるが、5曲ともリイシューされているのでこちらも聴いてみる
価値はある。
SONNY PARKER and HIS ALL STARS
Sonny Parker(vo) Walter Williams(tp) Al Grey(tb) Johnny Board(as) Gene Morris(ts) Floyd
Dixon(p) Wes Montgomery(g) Roy Johnson(b) Ellis Bartee(dr)
Radio Recorders, Hollywood, Los Angeles; Sep.7,1949
Hamp's Gumbo [2:46] Aladdin 3033, Blue Moon(Sp)BMCD 6003
Pretty Baby [2:43] Aladdin 3033, Riverboat(F)900.263
Sonny's Blues [2:52] unissued, Capitol CDP 8 36293 2
Sad Feeling [2:31] Aladdin 3062, Riverboat(F)900.263
I Want A Little Girl [2:38] Aladdin 3062, Riverboat(F)900.263
第三弾の『発掘』にあたる音源の入手先をゼヴが改めて説明しているが、当サイトの『ニュース速
報 No.115(2014.4.29号)』"ターフ・クラブのモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテット"で記載し
た通りなのでここでは省くが、先に朗報を知らせておく。
昨年11月1日NHK−FM『ジャズ・トゥナイト"世界の発掘男ゼヴ・フェルドマンを迎えて"』の放
送があった。
第三弾のリリースに先立ちゼヴがゲスト出演し発掘にまつわる苦心話を披露していたが、最後に
「インディアナポリスの発掘音源はまだあるので楽しみにしていてください。」と締めくくった。
本当にゼヴは商売上手と感じる。いっぺんに出さない・・ジレンマを与える。
ひとつの音源をコレクターズ・アイテムとして、10インチ盤、LP盤、CDなとど売り分ける商法は見
習うべきものがある。私も全てのアイテムを購入させられたことになったが、まぁ、第四弾はどの
ようにリリースされるのか、楽しみでもある。
本筋に戻すが、CD-1からかいつまんで説明する。全14曲のうち第二弾の重複6曲も含んで13曲がタ
ーフ・バーでのライヴ録音となる。中でも一番の発掘曲に推したいのが当時モンゴメリー・ジョン
ソン・クウィンテットでよく歌っており、エリントン楽団の専属歌手でもあったロバート・ソニー
・ジョンソンの妹でデビー・アンドリュースが〈アイ・シュッド・ケア〉をウェスの伴奏だけでし
っとりと聴かせてくれる。後にも先にもこのようなデュオは聴いたことがない。
エンディングでシンバル・ロールが若干入るが、これをトリオとみなすのか意見の分かれるところ
だ。
アップテンポでのウェスのソロが映える〈フォー〉は元来マイルスの作曲として疑うべきもなかっ
たがビル・ミルコウスキも語る通り40年代から活躍したエディ・クリーンヘッド・ヴィンソンが
〈チューン・アップ〉とともにマイルスのために作曲したものと言う。彼はR&Bシンガーであり
巧みなアルトサックスをもこなし1952-53年には自己のバンドにコルトレーンも参加した経緯があり
この時期に作曲したと言われている。
今頃こんな話が出てくるなんて、というより帝王がなくなっているからこそ出せる話で、もし存命
なら「贈られたものは俺のものだ、何か文句あるか」と噛みつかれそうだ。
更に興味深い録音がある。14曲目に挿入されたウェスの妹アヴイーナの自宅で録音されたミルト・
ジャクソン作曲の〈ラルフス・ニュー・ブルース〉である。
バディがヴァイブを始めた頃に彼のカルテットの試みとして、ミルトを意識しての取り組みであっ
た。ここでの珍事はウェスがウッド・ベース(注:ライナー・ノーツではモンクのエレキベースを持
ってと説明されている)を弾きこなしている。
バディは「この夜たまたまベースが見つからずウェスに頼むことになった。ギタリストにとってロ
ープのような太い弦にフレットのないフィンガーボードのウッド・ベースを突然弾着こなせと言っ
ても無理は承知のうえだった。"巧く弾けったって無理だよ"、と泣きごとを言ってきたのでじゃ、
兄貴は後ろでベースを持って立っていてくれないか。適当に弾いている振りだけでいいから、と言
ってやったのさ。」と回想する。
こんな殺し文句を言われたら誰だって奮い立ちますよ。ウェスはソロまで演って見せた。
ここで、ターフ・バーにまつわる話がある。バディ・モンゴメリの未出版本から、ジョセフ・ウッ
ダードによると「モンクがハンプトン楽団を辞めインディアナポリスに戻ってきた頃、私も2年の
兵役を勤め除隊し戻っていたし、妹のアヴイーナもニューヨークから(注:これらお互いに数か月の
ずれはあると思うが1954年春ごろになる)帰っていた。当時3人とも独身だった(注:モンクは既婚
者と思う)ことから街の北側にあたるケンウッド大通り3200番地に二世帯住宅を借り共同生活を始
めた。
私は引っ越しが住むや否やアップライト・ピアノを買い、モンゴメリ・ジョンソン・クウィンテッ
トそのメンバーは私たち三兄弟とロバート・ソニー・ジョンソンとアロンゾ・プーキー・ジョンソ
ン(注:同姓だか血縁関係はない)で練習に励んだ。週5日この家で目標をもって真剣に取り組んだ。
みんな昼間の仕事を持っていたのでいつも裏口は無施錠にしておいたが、私たちが帰宅したらすで
にウェスが来ていて、仮眠しているときや一人で練習を初めていたこともあった。
いつも数時間に及ぶことから休憩や食事を挟んでの気分転換も必要だったが、とにかく明るい性格
のウェスはよく冗談を飛ばし笑わせていた。
この家では地元や全国の一流ミュージシャン、スタン・ゲッツ、エロル・グランディ、フランク・
フォスター、リロイ・ヴィネガー、ローランド・カーク、ジャック・マグダフなどが集まりジャム
・セッションは毎度のことだった。
共同生活から数か月後、モンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットはターフ・バーで活動を始めた。
店は16番通り西2320番地、インディアナポリス・モーター・スピード・ウェイの近くにあり交通便
はよいが景気はよくなかった。それでオーナーのミルドレッド・トンプソンにジャズ・バンドを置
いてみないかと持ちかけたが、人種問題がきつく初めは乗り気ではなかったよ。」と話している。
モンクによると、「オーナーの心配は黒人バンドを入れるとドラッグの密売が横行するということ
と、バンドを入れても流行るのかという心配らしいが、店は閉店寸前だったことでオーナーはなん
とか説得に応じてくれた。」と回想している。
オーナーは「既にモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットでのウェスのギターが客を呼べること
は周知していたらしい。」というのが本音とのこと。
「開店すると連日超満員、新聞広告など宣伝もいき届いていたが行列ができるほど数あるライヴ・
ハウスの最先端となった。大成功だったね。」と証言もしている。
ゼヴがラリー・リドレイにインタビューでターフ・バーについて尋ねると「当時私は未成年だった
ので入店はできなかったが、アフリカ系の客はいなかったように思う。それであの場所はインディ
アナポリスであってインディアナポリスではなかった。
都市の規模が拡大していたころ衛星都市として出来上がったが、確か"スピード・ウェイ・インディ
アナ"と呼ばれ、独立した地域の別物扱いだったね。」と応えている。
ゼヴはラリーに念押しするかのようにターフ・バーは白人専用のバーであったと、さらに質問する
と「バンド・マンは黒人であるがゆえ彼らは裏口から出はいりさせらたという差別は当たり前のよ
うだった。この時代黒人が入れない場所や地域があり南部の差別的風土がまだ残されていた。トラ
ブルを避けるため我々も近寄らなかったけど確かに暴力的な事件があり絶えず恐怖心をいだいてい
た。」と応えるているが、白人の我が儘気がってな行動も黒人音楽の素晴らしさには勝てなかった
ことになりますか・・。
次にCD-2から、冒頭いきなリウェスのリヴァーサイド・デビューの足掛かりとなった伝説のラウンジ
ミサイル・ルームからの3曲が挿入されている。
〈ソフト・ウィンズ〉はミディアムテンポで始まったが終わりのテーマに戻った時アップテンポにな
っているのも彼らの意気込みとして感じられるが、この録音が本当に貴重だと感じるのはドラムスの
ポール・パーカーの名前が初めて確認できた。なにせ初めてのリヴァーサイド・トリオ・レコーディ
ングのひとりである。
この伝説のミサイル・ルームの所在地については二つの説があり、私はネットを通じてインディアナ
ポリスに詳しい関係者や写真家でもあり評論家でもあるダンカン・シャイトにもメールで答えていた
だいた経緯がある。まず、エイドリアン・イングラム著では、インディアナ劇場と書かれていたが、
これはインデアナポリスにあったどこかの劇場と理解しましょう。有力なひとつは何人かの関係者が
「ウォーカー劇場の地下にミサイル・ルームがあった。」と答えている。
あとひとつはダンカンの記憶で「90歳を超えるとね・・ウエスト通りで"ウォーカー劇場"のひとつ南
のブロックだったと思う・・よく覚えていない。」と答えた。
2−3回メールのやり取りをしていただいたが、その後ぷっつりと返事が来なくなった。と思ったら
リリース第三弾のライナー・ノーツでゼヴはダンカンが亡くなったお悔やみとインタビューのお礼へ
の記事を載せていた。
もちろんゼヴもミサイル・ルームについて質問していた。「全体が薄暗かったがステージはなお暗く
決して大きな店ではなかった。アフターアワーズのバーでオーナーが警察関係者だったことでうまく
規制を逃れていた。あの店はダウンタウン地区の川の対岸にあり、ウエストサイドを南北に走る大通
りのひとつ、セカンド・アヴェニューを超えたあたりの民家を改装したような地下にあった。外から
見る店舗はずいぶん立派だったよ。以前は白人居住区だったと覚えている。」と説明している。
ところがこの住所で地図を見ても特定できない。やはり謎のままである。
話は変わるがウェスのリヴァーサイド・デビュー・アルバム《The Wes Montgomery Trio/A Dynamic
New Sound》のドラムスがポール・パーカーであることの理由がずっと気にかかっていた。
今まで発表されてきた多くの記事では、ウェスとオルガンのメル・ライン、ドラムスはソニー・ジョ
ンソンでのレギュラー・トリオで書かれたり、写真もある。直前までこのトリオはミサイル・ルーム
を拠点とし活動していたにもかかわらず、突然の交代劇は何があったのだろう・・との疑問にダンカ
ンへのインタビュー記事に答えらしき文脈を見出した。
「59年にデイヴィット・ベイカーの編成したグループにウェスを初めラリー・リドレイ、ソニー・ジ
ョンソンと忘れたがもう一人がいた。8月か9月に開催されるコンサートに向けてキーストン大通りに
あるスタジオでリハーサルをしていたら、リヴァーサイド・レコードの関係者がウェスをニューヨー
クへ連れて行った。」というのである。結果的にこのコンサートは中止になったが、ウェスとソニー
・ジョンソンまで連れて行かれたらデイヴィットの苦労が報われず、その引き抜きを最小限に留める
にはソニーとしてはウェスとの同行を断念せざるを得なかった。このことで予定のなかったポール・
パーカーがエキストラとして急遽務めたと推察できる。これで長年のつっかえが取れた。
ターフ・バーについてもダンカンへのインタビューがあるので追記する。
「ターフ・バーは確かではないが白人専用のバーだった。しかし黒人バンドのモンゴメリ・ジョンソ
ン・クウィンテットが出演すると彼らのファンも押しかけた。その証拠にこれらのCD(リリース第三
弾となった曲)を聴くと演奏途中に入る掛け声が黒人独特なものだけに、川向うとなる黒人居住区か
ら来たファンに間違いないと思う。白人専用とはいえ、一部にしろ黒人客を受け入れたのであろう。
ここのオーナーは中年の夫婦でとてもジャズ好きのようでしたから。」ターフ・バーは現存しないが
建物が残っており今はストリップ劇場らしいです。
かなり横道にそれたが、次の5曲はクウィンシー・ジョーンズの制作によるものでリリース第二弾に
重複するものと前段に説明したが、そのマスター・テープの入手についてゼヴは「コロンビア30丁目
のスタジオは《カインド・オブ・ブルー/マイルス・デイヴィス》と同じスタジオであった。私は同じ
プロデューサー仲間の紹介でソニー・ミュージック・エンタテイメントの担当者マーク・ワイルダー
に合い、彼から保管していることを聞かされた。」と説明している。実に素晴らしい内容だけに全5
曲だけだったとは些か口惜しい。
最後がゼヴ・フェルドマンが珍発掘とするのが57年録音、シカゴのサウスサイド、コテージ・グロー
ヴ通り56丁目、今はないがC&Cミュージック・ラウンジでの〈オール・ザ・シングス・ユー・アー〉
は12分にも及ぶ熱演を展開するがウェスとアロンゾ・ジョンソン以外のメンバー確認がとれない。
モンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットは56年末頃に解散しているが、このバンド名義になるかど
うか微妙なところである。
これら若きウェスの"Early Recordings"まさにに草創期のプレイを聴く限り技術的に完成度が高く、
シングルトーンでの早いパッセージのこなし、オクターヴ奏法の切れ味、どれもこれも至高の技とい
え、独学流無免許皆伝ま・ざ・ま・ざと見せつけられた思いだ。
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