鬼才プロデューサ、オリン・キープニュース死す
オリン・キープニュース:1923年3月2日ニューヨーク、ブロンクス区生まれ。
ウェスが1923年3月6日生まれだったから4日しか違わなかった。
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ジャズ御三家のひとつ、名門リヴァーサイド・レコードの設立者オリン・キープニュースが、2015年3
月1日91歳で逝去した。誕生一日前だったという。
ウェス・モンゴメリをはじめセロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、キャノンボ
ール・アダレイなど数多くのミュージシャンのアルバム制作に携わった。
ジャズ界で彼が残した功績は偉大すぎてとても書き表せないが、大まかにその経歴を列挙してみた。
1952年 夏頃、ビル・グロウアーとオリン・キープニューズによってRCAでのXレーベルやパラマウント
の復刻専門レーベルを扱いニューヨーク市にリヴァーサイド・レコードを設立。社名の由来は
この地域を代表する電話局の名前をもじった。
1953年 新録音を手掛けることでランディ・ウェストンを初の専属契約としてモダン・ジャズに着手す
る。
1955年 セロニアス・モンクと契約したのを機にコンテンポラリー・シリーズ、12インチLPレコードの
制作活動を始める。
1960年 子会社ジャズランド・レコードを発足。
1963年 12月、ビル・グロウアーの死去により、制作活動を停止。
1964年 7月20日倒産。レーベルはオルフェウム・プロダクションに売却。
1966年 自主レーベル、マイルストーン・レコードを設立。
1972年 9月、ファンタジー・レコードから招へいされ入社することでリヴァーサイド原盤の一部を買
い戻し、キープニューズ自身が設立したマイルストーン・レーベルとしてリイシューする。
1980年 フリーランスとして活動。
1985年 ランドマーク・レコードを設立するも1993年にミューズ・レコードに譲渡、以降フリーランス
として活動。
この80年代以降、彼がリヴァーサイド・レコードに最も貢献したというか、あるいは生涯において最も
印象深く心に残る3人のアーチストの記録をまとめあげた《コンプリート・レコーディング》を最後の
仕事として、集大成を遺すことに意欲を示していたと感じる。(注: コンプリート・リリースに関しては
リヴァーサイド・レーベル以外にもある)
その最初のひとりが、ビル・エヴァンスである。そのきっかけとなったのが確か1984年《Bill Evans
The Complete Riverside Recordings》が18枚組LPレコードでリリースされた。
メディアがLPからCDに変わりつつある時期で、のちの1991年に12枚組CDでリイシューされたと思う。
つづいて1986年《Thelonious Monk The Complete Riverside Recordings》が22枚組LPレコードと15枚
組CDでリリースされた時、その経緯についJazz Japan Vol.57(2015年5月号)で野浩史氏の記事よると
「72年にファンタジーに籍を置きキープニュースはリヴァーサイドやプレステイジのリイシューにとり
かかり未発表や別テイクを織り交ぜ2枚組LP-Twofer(プレステイジがP-24000番台、マイルストーンが
M-47000番台)をリリースしていたが、イタリアがなんの承認も得ないままセロニアス・モンク《Monk
on Riverside》と題し別テイクなど一切触れずに既発表のテープを単につなぎ合わせ20枚組LPでコンプ
リートをうたい文句にリリースした。それがキープニュースには納得いかなかったようである。
それで日本での発売権を持つビクター音楽産業が企画しキープニュースの制作のもと名実相伴うコンプ
リート盤をリリースした」という。
元来、リヴァーサイド・レコード発足時キープニュースはライターとしてライナー・ノーツの担当もこ
なしていたことからミュージシャンの気質や経歴などおおくの事実を把握しており、モンクのコンプリ
ート盤をを制作するにあたりビクター音楽産業からモンクのそれこそコンプリートなライナー・ノーツ
の原稿も依頼されていた、と言う。
それが功を奏し86年度のグラミー賞(授賞式は毎回翌年)でBest Historical Album(最優秀歴史的アルバ
ム賞)とBest Album Notes(最優秀アルバム・ノーツ賞)の2部門を獲得した。(注: 獲得した賞はこれ以
外にもある)
グラミー賞獲得を機にキープニュースは【THE VEW FROM WITHIN WRITINGS 1948-1987】として彼が携わ
ってきたセッションの記録や、ベスト・フレンドとしてウェスを筆頭にグリフィン、キャノンボール、
ナット・アダレイ、エヴァンスとの交友録などを綴り1988年に出版した。
翻訳本は出版されていないが、《Wes Montgomery The Complete Riverside Recordings》が1993年1月
12枚組CDでリリースされ、当サイトで紹介記事を掲載した折、ウェスの部分だけ翻訳してあるので是非
覗いてみてください。
全訳本の出版が望まれる。
出版された同じ1993年7月、まだランドマーク・レコードが活動している中、私はこのウェスのコンプ
リート盤に付録のブックレットのレコーディング・テータについて彼に質問の手紙を送った。
まだ、インターネット・メールが普及する以前のことで、今となればそれが大変貴重な宝物と言えるが、
彼から懇切丁寧な返信の手紙が届いた。(注: ニュース速報 No.92(2008.12.7号)で紹介)
遺憾ながら、この直後ランドマーク・レコードが閉鎖されたことになる。
キープニュース自信、これらコンプリート・アルバムのリイシュー、マイルストーン・レーベルでの2
枚組LPでのリイシュー、そして極め付きは2008年リヴァーサイド・レーベル(1953年設立)創立55周年
記念として、オリン・キープニュースの監修で《キープニュース・コレクション》とし900タイトル以
上の中から厳選の20タイトルが8月20日にユニバーサル・ミュージックからリイシューしたことで、自
らかかわったレーベルの整理がひととおり図られたことで何の悔いも未練もなく天国へ旅たたれたこと
と察する。
長きにわたり多くのジャズ・ファンを楽しませていただき誠にありがとうございました。
お疲れさまでした・・ご冥福をお祈りいたします。
今更ながら私自身感じたことで、世の文献や書籍等の中でリヴァーサイド・レコードの設立年が1952年
と1953年とに乱れている。
オリン・キープニュースと共同設立者のビル・グロウアーが1952年に復刻レーベルなどのリリースに着
手したというのは事実である。
ただ、社名を付けるほど企業として確実に実績が得られるかどうか分からない見切り発車の中で、社名
に拘れるほど余裕はなかったと思う。
それが、幸運にも軌道に乗り1953年にはランディ・ウェストンと契約が成立し自信らのレーベルで新録
音するところにまでに成長した。
おそらく、ここに到達するまで二人が起業のことで話し合っていたとは思うが、「よい社名が浮かばな
いから」と、語っているが考える暇もなく多忙な毎日だったと思う。
社名の由来はこの地域の電話局がリヴァーサイドだったことから、それを文字って【リヴァーサイド・
レコード】と命名、新録音が切っ掛けだったのか、それとも先に起業し命名したのか定かではないが、
いずれにしても1953年設立説が有力である。
おそらく、ビルとオリンの出会1952年から始まったことが設立年と誤解を招くような記述にあったと思
う。上記、創立55周年記念《キープニュース・コレクション》では、キープニュースが新たなライナー
・ノーツに書き改めており、関係者には1953年と知らされていることからカッコ書き(1953年設立)と
印象付けているのかも知れない。
しかし、1952年説も捨てきれない。故、油井正一氏がSJ誌1974年の【幻の名盤読本】で説明するには
社名は1952年に命名したようにも読み取れる。それが起業として正式なものかどうか分からない。
キープニュースとも親交が深かっただけに・・迷うところだ。
実は当サイトでも1952年説を採っているが、当面はこのままにしておく。
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