第四弾レゾナンスレコードのウェス
アルバム名 : Wes Montgomery One Night In Indy
Featuring The Eddie Higgins Trio
アルバム番号: RESONANCE HLP-9018
リリース国 : USA
リリース年月: 10/2015
メディア : LP
レゾナンス・レコード第四弾がエディ・ヒギンズとのセッション記録だったとは驚きの一言に尽きるが、
リリースにあたり、レゾナンス・レコードは4月20日にリリース予告し延期、5月11日に再予告し延期、
プレスミスがあったことを理由に再々延期し、10月20日やっと【三度目ならず四度目の正直】でリリース
した。
異色なヒギンズとのピアノに今までにないウェスの演奏が聴きどころである。
先行リリースは限定2500プレス180グラムの重量LP盤(CDのリリースも予告されている)で、ジャケットは
50年中頃のインディアナポリスの夜景写真が使われている。
ダウンタウン中心のモニュメント・サークル内に建つソルジャー・アンド・セーラーズ・モニュメントは
1902年南北戦争で犠牲になった兵士の慰霊塔である。
59年1月18日(日)にウェスとエディ・ヒギンス・トリオのセッションを録音したのは56年に設立された非
営利団体のインディアナポリス・ジャズ・クラブ(IJC)のスタッフで、そこに写真ジャーナリスト、
ダンカン・シャイトも立ち会っていたと思われ、テープは2014年に他界したダンカンにより保管されてき
たが、このたびレゾナンス・レコードより日の目を見たということである。
Wes Montgomery(g) Eddie Higgins(p) unknown(b) Walter Perkins(ds)
unknown Live House, Indianapolis; Jan. 18, 1959
1. Give Me The Simple Life [9:14]
2. Prelude to A Kiss [5:52]
3. Stompin at The Savoy [7:12]
1. Lil Darlin’ [8:09]
2. Ruby My Dear [8:35]
3. You’d Be So Nice To Come Home To [2:51]
録音データを見ても【分からない】部分が見受けられるが、このセッションがあったという事実は既に周
知のことであった。
85年6月、エイドリアン・イングラム著『ウェス・モンゴメリ』(1992年3月JICC出版、小泉清人・訳)の
なかで記載されてある。
「ウェスはハンプトン楽団を退団し故郷へ帰ってきたが、しばらくは音楽とは関係のない仕事に就き、徐
々にではあるが再び演奏活動を始めた」とあり、その最初がエディ・ヒギンズ・トリオだったというので
ある。が、録音データと見比べるとこの間のタイムラグは大きく、そこにはモンゴメリ・ジョンソン・ク
インテットというユニットでの活動を避けては語れないが、イングラム著ではヒギンス・トリオの、ユニ
ットはボブ・クランショウ(b) ウォルター・パーキンス(dr)とはっきり書かれてある。
ヒギンスは1957年5月、シカゴにあるロンドン・ハウスと出演契約を交わし、その後ハウス・バンドとして
12年間活動をするなか、ほとんど同地を離れることはなかったと言うが、このセッションが59年1月イン
ディアナポリスで行われたことが明らかにされたがどのような経緯で顔合わせができたのか、また、場所は
シカゴではなく何故インディアナポリスだったのかなど詳細不明である。
前に出る華々しいピアニストではなかったが、繊細で甘いタッチが魅力的だったそのエディ・ヒギンスも後
年ヴィーナス・レコードのアルバムで多くの日本のファンに支持されたが2009年に他界、ウォルター・パー
キンスも2004年に他界している。
そして、ベーシストが誰なのかについて:
57年9月にヒギンズ初のリーダ・アルバムがシカゴ郊外のビル・ハック邸のガレージを改装した質素なスタ
ジオで《The Ed Higgins Trio/Replica 1009》がレコーディングされた。メンバーは、Eddie Higgins(p)
Dave Poskonka(b) Jack Noren(dr)となっており、59年8月、シカゴで開催されたプレイボーイ・ジャズ・
フェスティヴァルではコールマン・ホーキンス(ts)のリーダでEddie Higgins(p) Bob Cranshaw(b) Walter
Perkins(dr)らが出演している。
時期的見るとこのホーキンスのバックを務めたベースのボブ・クランショウが最も有力で、エイドリアン・
イングラムもボブと記載していることからほぼ確信していた。
ボブ・クランショウと言えば70年代初めにモンクのエレキ・ベースとボブのアップライトを交換したという
話は有名だが、しかしこの第四弾リリースのライナーノーツでゼヴ・フェルドマンは「かなり努力したがわ
からなかった」ということを説明したあと、「シカゴのベーシストでヒギンスの仲間でもある、ボブ・クラ
ンショウとジョン・バニーに聞いてもみたのだが」・・つまりボブ・クランショウではないということにな
る。まぁ、ライヴ・ハウスもベーシストも分からない事だらけのリリースとなった。
50年代のウェスが次々と発掘リリースされることは、ファンにとっては大変喜ばしい事ではあるが、ウェス
が存命ならば決して日の目を見るものではなかった。
前回リリースされた第三弾のターフ・バーでの録音テープもバディが所持していたが、彼が亡くなったこと
によりCD化された。
これ等は彼らにとってリハーサル録りであり、勿論そこには聴かれたくない内容のものも含むことから、生
前に公開されることはまず許されなかった。
それでモンゴメリ・ジョンソン・クウィンテットのアロンゾ・ジョンソン(ts)はこの時期のウェスとのリハ
ーサルなどで録音したテープを持っているという情報は以前から聞くが、ジョンソンが亡くなってその存在
は不明である。
バディが所持していた第三弾のテープはジョンソンから引き継がれたものかどうか分からないが、ジョンソ
ンが生前の時、評論家の成田氏が彼にそのテープを公開しCD化を進めたが頑なに拒否したという。
リヴァーサイドでの録音も「神経質なウェスはテイクを重ねた。私は良いと思っていたが」とはオリン・キ
ープニュースの回想話だが、別テイクというより没テイクに近いものがやはりウェスの死後リリースされた
ものである。
追記(11月2日)
第四弾のリリースについて、謎であり興味深いことがベーシストが誰なのか、ということである。
このライナーノーツでレゾナンス・レコードのゼヴ・フェルドマンは結果的に「分からなかった」という短
い説明で終わらせている。
年代的にベーシストとして最も有力視されているのがボブ・クランショウであったことから、このもどかし
さにどの程度調査したのかゼヴに直接聞いてみた。
ゼヴはゼヴなりにそれらしき情報をリリース前に把握しており、ボブ・クランショウとジョン・バニーに合
ったそうである。
それでボブについて「私はボブに直接合って、この録音テープを聴いてもらった。彼は何度も聴き直してい
たが私のプレイではないと断言しました」と、丁寧な返信メールを戴いた。
ゼヴはその調査の中で「インディアナポリスの選りすぐれたベーシストであっただろう」と言うことしか掴
めなかったという。
ギタリストの小泉清人氏は「音色、フレーズ、リズムなどからボブと聴き違えるほど素晴らしいベーシスト
だね、でもボブ本人が否定したことは尊重すべきことだよ」と、アドバイスをいただいた。
過去発掘されたレゾナンスのレコードを見ると、モンク・モンゴメリを筆頭にミンゴ・ジョーンズ、フリッ
プ・スチュワートそれにラリー・リドレイも候補に挙げられるが彼らも該当しないということだったのか。
この第四弾、B面2曲目のスロー・バラッド〈Ruby My Dear〉は個人的に一番のお気に入りとなった。
ヒギンスのピアノのあとウェスのソロになんとなく聴いたようなフレーズが入り込むが思い出せなかった。
「1994年、TOKOレーベルとして自主制作した《Smokin' Guitar/Wes Montgomery/TOKO WM94-12》に挿入した
〈Laura〉そのものだよ」と小泉氏に教わった。
つまり、この2曲はメドレーになっているといことでタイトルとして〈Ruby my dear〜Laur〉と記載するの
が正しいということである。
更に《Echoes of Indiana Avenue》の中でウェスが〈Body and Soul〉を弾いた後、アール・ヴァン・ライ
パーのピアノは〈My Old Flame〉を弾いていた。
これらは主題曲の中で引用したということではなく、2曲を綴ったメドレーになると言える。
「スロー・バラッドの演奏では良くつかわれることで珍しくはないです」と小泉氏は説明する。
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