ニュース速報 No.122(2016.11.12号)


テスト盤あれこれ
アナログのテストプレス盤 (Test Pressing)について説明します。 その前にアナログ盤の製作工程について思い起こすと、アセテート盤とかラッカー盤と言われる最初の 過程があります。これは厚さ約1mm の高純度なアルミの円盤に溶液を塗布し乾燥させたものとなる。 (左の写真はアセテートが欠け中のアルミが見えている) 塗料としてセルロースアセテート(眼鏡のセル枠の原料にも使わ れ酢酸繊維素とも言いい、他に酢酸セルロース、酢酸綿、酢綿と いう言いかたもある)を主剤としたものがアセテート盤であり、 その後非アセテートでニトロセルロース(硝酸繊維素)を主原料と した溶液を塗布し乾燥させたものをラッカー(Lacquer)盤と言わ れるが、今では総じてラッカー盤と言われている。 このようにして作られた円盤表面はカッティング(溝を刻む過程) にふさわしい適度な柔らかさを保つことになるが、このカッティ ングされる前の盤をダブプレート(Dubplate)という言い方もされ ている。
日本でアセテート盤と言えば、昭和天皇の玉音放送に使われたことは知られているが、特徴としてマス ターテープとかマイクからの音声入力をダイレクト・カッティングされることから高音質であることは 間違いないが、レコードプレイヤーの針圧にも左右されるほど材質的に消耗が著しく数十回程度の再生 でノイズが激増する。これらは、再生しなくとも経年劣化も否めないほど繊細な録音盤と言える。 「アセテート盤はプロモーション盤(略してプロモ盤)であると同時にテストプレス盤(略してテスト盤) でもある」という表現がいくつかのウエブサイトで見られるが、これには違和感を覚える。 当時のアセテート盤の使用目的は、音源から数枚カッティングされたものを音質等のチェックを受ける ことで関係者に配布された、これがテスト盤と言われるものである。つまりは商品化に向けての最初の 過程である。 プロモ盤とはアナログ盤の製作で最終過程となるスタンパーと言われる金型でプレスされたもので、テ スト盤でチェックも済ませ商品化されるものと原則同品質のレコード盤をディラー等に試聴用や販促用 として配布するものを言う。サンプル盤とか見本盤、とセンターラベルやジャケット裏などに書き込ま れ、或いは非売品とも言われるものである。 50年代はそれまで主流となっていたSP盤(シェラック盤とも言われた)も塩化ビニールを主原料としたLP 盤の出現により徐々にになりを潜めたが中頃になるとそのテスト盤も塩化ビニールでプレスされること が多くなった。 とは言え、アセテート盤の手軽さは捨てがたく60年代、70年代、いや80年代になってもテスト盤以外の 目的で使用されていたことは認識している。 本来テスト盤はその役目を果たしたあと完全に廃棄するか返却されるべきもので一般に出回ることがな いとされている。勿論プロモ盤もしかり、であるがプレス枚数は圧倒的にテスト盤が少なくマニアック なコレクションの対象となるのは必然的なことてある。 上記のようにプロモ盤のジャケット装丁のほとんどが商品化されたものと同等であるのに比べ、テスト 盤は白色無地で中袋に使われるスリーブであったりジャケットに収められている。使用目的を果たすと 廃棄処分となることから贅沢な装丁は必要なしと言うことである。 センターラベルも、白色無地で手書きのレコード番号や、マトリックス番号など雑に記入されているこ とが多い。 では所有のコレクションやウエブサイトで見つけたテスト盤、それに珍品かつ貴重なアセテート盤を紹 介する。 先ずはウェスがハンプトン楽団に残したデッカ・レコード最後の録音となった2曲のテスト盤。
Lionel Hampton(vib) Doug Duke(org) Wes Montgomery(g) Roy Johnson(b) Earl Walker(dr) *add Jerome Richardson(fl) N.Y.C.; Jan.26,1950 75754 Where Or When [2:50]         Decca 27198 75755 There Will Never Be Another You * [2:28]         Decca 27198 このテスト盤は12インチ(30p)のアセテート盤で、オリジナルの10インチ(25p)盤に合わせ片面1曲、 78回転仕様となっている。 LP盤(30p)は1948年6月21日にコロムビア・レコードから最初に発売されたと言うが、10インチ盤から 12インチ盤になり変っていきつつあるという時代に即しこのアセテート盤の歴史を感じる。 1960年7月ワールド・パシフィック・レコード がらリリースされた《Montgomeryland/Pacific Jazz PJ-5》のテスト盤。 ジェームズ・シャープ所有とゴム印らしきもの で記名されているが詳細は不明。 材質は塩化ビニールと思われる。
1961年リヴァーサイド・レコードからリリースさ れた《So much guitar/Wes Montgomery/Riverside RLP-9382》のテスト盤は塩化ビニール製となる。 センター・ラベルに "Abbey Record Manufactur- ing Co., Inc." と記されている。 アビイ・レコードは1948年アメリカ、ニュージャ ージー州に設立されたプレス工場だが、既に消滅 している。 主にレーベルの持たないカスタムメイドの注文を 請けていた。まさしく【テスト盤】に相応しい存 在だったといえる。
《Boss Guitar/Wes Montgomery/日本ビクターSR- 7069》は塩化ビニール製で1963年日本ビクターの テスト盤。 商品販売と同等の「ぺラジャケ」と呼ばれたさほ ど厚くないジャケットに収められていた。 白色無地なセンター・ラベルにレコード番号が記 されている。

1963年12月リリース《Fusion!/Wes Montgomery with Strings/Riverside RM 472》のアセテートのテ スト盤。 試行錯誤の形跡がセンター・ラベルに見られる。リリースされたレコードと両面の曲順が入れ替わっ ていることに注目。もし音質チェックで駄目だしが伴っていたら再プレス再配布された可能性もある。 しかしこの年あたりから、リブァーサイドの経営も窮地に追い込まれテスト盤はアセテートになって いることに加えタイトルが明記されていない。 この時点で決まっていなかったのか、それとも単に明記していないだけなのかたいへん興味深いテス ト盤である。 1968年10月にABCレコードよりリイシューされた 《The Best of Wes Montgomery/ABC RS-3039》 塩化ビニールのテスト盤。 センター・ラベルのロゴはトゥルー・サウンド・ マニュファクチャリング工場で、1965年2月に 設立されたニューヨーク州ホーポージにあるABC レコードが所有するブレス工場となる。
最後にテスト盤ではないがアセテートの海賊盤を見ていただこう。 1980年代、アメリカ人コレクターへの入札で落札した2枚は、アマチュアのエンジニアで録音機材や アセテートのカッティング・マシーンを自宅に設け、ラジオ放送録音熱狂コレクターなどと世界的に 有名だったポリス・ローズ(2000年死亡)の5万種の私家録音とも言われたコレクションからのもので ある。 90年代、私家録音されたオープンリールのリスト(A4裏表に書かれ70枚程度)を希望者に配布していた ことで、送っていただいた。 「希望の録音があればアセテート盤にしてあげるよ」と言われ、66年4月録音《Wes Montgomery and the Wynton Kelly Trio》のリストに価格を問い合わせると「1000ドル」と言われ躊躇していた。 1カ月後に再びエア・メールが届き「この連絡が最後だ。私は全てのコレクションを廃棄処分する。」 と言ってきたが高額なために断念した経緯がある。
左面はトニー・スコット・クゥインテットの2曲、右面が1994年12月当ファン倶楽部が自費リリース した《Smokin' Guitar/Wes Montgomery/TOKO WM94-12》に収められている。 Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Paul Chambers(b) Jimmy Cobb(dr) B'Cast, "Half Note", N.Y.C.; Sep.24,1965 Laura [6:53] Cariba [8:49]
左面が同じく《Smokin' Guitar/Wes Montgomery/TOKO WM94-12》に収められている。 Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Herman Wright(b) Jimmy Cobb(dr) B'Cast, "Half Note", N.Y.C.; Nov.19,1965 All The Things You Are [6:44] I Remember You [7:27] 右面は現在も未発表となる2曲。 Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Ron Carter(b) Jimmy Cobb(dr) B'Cast, "Half Note", N.Y.C.; Nov.5,1965 Mi Cosa No Bluse このアセテート盤も経年で盤に曇りがはいったり、御覧のようにラベルの裏糊がシミでてきたり、 保管の難しさが分かる。ポリス・ローズも保管していて多くの盤を処分すると言っていたが、その 後の経緯は不明である。