新史実ウェスとヒギンス・トリオ
アルバム名 : Wes Montgomery One Night In Indy
Featuring The Eddie Higgins Trio
アルバム番号: RESONANCE HLP-9018
リリース国 : USA
リリース年月: 10/2015
メディア : LP
ニュース速報 No.121(2015.10.31号) 【第四弾レゾナンスレコードのウェス】としてレゾナンス・レ
コード《Wes Montgomery One Night In Indy Featuring The Eddie Higgins Trio / RESONANCE HLP-
9018》の詳細不明多きのリリースに関して、新たな事実が判明しました。
先ずは、59年1月18日(日)にウェスとエディ・ヒギンス・トリオのセッションを録音したのは56年に
設立された非営利団体のインディアナポリス・ジャズ・クラブ(IJC)のスタッフで、そこに写真
家でジャーナリスト、ダンカン・シャイトも立ち会っていたと思われ、テープは2014年3月に92歳で
他界したダンカンにより保管されてきたものが、レゾナンスレコードより翌年の10月に日の目をみた
・・と記載した。
かなりリリースが予定より遅れた原因は「ベーシストの詳細を探るべき翻弄したが、思う結果は得ら
れなかった」と、ゼヴ・フェルドマンの言い訳であった。
新たな事実と言っても、そのべーシストが判明した訳ではないが、インディアナポリスの地元紙、イ
ンディアナポリス・スター1959年1月17日号の9頁にエディ・ヒギンス・トリオの出演予告広告があっ
た。偶然に見つけた!!驚きの遭遇だった。
主催は「Indianaporis Jazz Club lnc.」とあるが、非営利団体です。
エディ・ヒギンス・トリオはシカゴのロンドン・ハウスから・・(といえばザ・トリオ オスカー・
ピーターソン・トリオ1961年7月のライヴの名盤に繋がりますが)・・と書かれているが当時、ヒギン
スはここのレストランで月に2週間契約のハウス・バンドとして出演していたが、1950年代後半から
60年代後半にかけリチャード・エヴァンス(b)とマーシャル・トンプソン(dr)のトリオを率いて、キャ
ノンボール・アダレイ、ビル・エヴァンス、エロル・ガーナ、スタン・ゲッツ、ディジー・ガレスピ
ー、オスカー・ピーターソン、ジョージ・シアリングなど、この時代のジャズ・スターらと共演を重
ねていた。
そのなかでインディアナポリスに出向きウェス・モンゴメリとひと晩限りのセッションをしたことに
なる。広告ではヒギンス・トリオのメンバー記載がないが、素直に見ればリチャード・エヴァンス(b)
とマーシャル・トンプソン(dr)とも見て取れる。
場所は西ミシガン通り1300番地「I.U.メディカル・センター・ユニオン」で午後8時開演、入場料2
ドル25セントとある。
「Indiana University Medical Center Union」とはインディアナ大学医療センターとなるが、現在
この住所地は道路上になることから、当時の都市計画の区画整備で立ち退きになったと思われる。
会場は同センター内の学生会館ラウンジでグランドピアノが常設してあり、100人以上収容できる広
さであった。
同紙でインディアナポリス・ジャズ・クラブを検索すると、いくつかヒットしその主催するライヴ会
場が同じインディアナ大学医療センターであるということも分かった。
このウェスとヒギンス・トリオの録音は決して良くないことから、正規な機材ではなかったように思
うがでは何故この録音テープがダンカン・シャイトの手元にあったのかというと、これもそれらしき
記事があった。
インディアナポリス・スター1959年6月6日号に「シャ
イトがシティ・ジャズ・クラブのヘッドに」という見
出しで、「インディアナポリス・ジャズ・クラブの
1959-60年の理事会は、新しい役員を選出しました。
会長にはダンカン・P・シャイト、副会長にはウィリ
アム・フレッチャー・パターソン、会計にはドン・
ラビングが就任しました。シャイトは、月刊クラブ誌
ジャズ・ノーツの共同編集者にウィリアム・J・フェ
ンド夫妻を任命しました」と書かれてある通り、スタ
ッフが録音したテープをダンカンは立場上、保管でき
たと考えられる。
インディアナポリス・ジャズ・クラブは1956年、シカ
ゴ在住のピアニスト、アート・ホーデスのコンサート
がきっかけで、非営利団体として自分たちが楽しむた
めに定期的に集会やコンサートを開催していた愛好家
の組織となる。
それで、そのころ同じシカゴで活動中のエディ・ヒギ
ンス・トリオをホームとするインディアナ大学医療セ
ンターに呼び寄せ、人気のウェスと共演させたという
ことだった。
生前ダンカンとは何度かメールでウェスのことで質問
した経緯があったが、この事実がもっと早く分かって
おれば質問できた・・と思えば思うほど後悔先に立た
ず。
なんの根拠もないが、一部のウェブサイトでベーシス
トがリロイ・ヴィネガーと書かれたものを見た。
レゾナンス・レコードのゼヴもリロイに直接聞いたが弾いていないと言われたそうである。
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