ゲイの冊子にウェスの名が?
米南部のジョージア(Georgia)州を連想すると、レイ・チャ
ールズの熱唱《わが心のジョージア(Georgia On My Mind)》
が浮かび、州都のアトランタを連想すると、「自分で自分を
褒めたいと思います」が流行語にもなった名言とともに多く
の人の記憶に残る、あの1996年アトランタ五輪女子マラソン
で銅メタルの有森裕子選手が思い出されます。
その米ジョージア州では2016年に【同性愛者差別容認法案】
が立案され、州知事が署名すれば立法化するされるというニ
ュースで賑わせたこともあった。
写真はネットオークションで落札した冊子で【Gay Atlanta
Magazine】1966年10月24日の日付が見られる。
表紙にはウェスと同じく伝説のマーヴィン・ゲイの写真が
掲載されており、彼は1984年の45歳の誕生日の前日、父親
に射殺されるという悲劇的な最後を遂げるが、ウェスと同
じくほぼ45年の生涯だった。
【Gay Atlanta Magazine】はアトランタで最高のゲイバー、
ダンスクラブ、ゲイ評価のホテル、ゲイサウナ、ゲイイベ
ント、ゲイクルーズクラブ等々を案内する、いわゆる同性
愛者のためのガイドブックで1937年に創刊し、この冊子で
は Vol.29 No.43 と記された週刊誌となる。
では何故このガイドブックに二人の偉大な写真が使われていたかというと・・ウェスもマーヴィンも
ゲイには関係していませんよ・・このアトランタにはラウンジ・レストランという肩書で【ラ・カル
ーセル】というナイトクラブがあった。
そういえば、1968年のヴァーヴでのジミー・スミス(org)の《ザ・ボス》はジョージ・ベンソンも加
わったライヴ盤でしたが、ここ【ラ・カルーセル】だった。
【ラ・カルーセル】は1960年にオープンし1970年代初頭にはアトランタのジャズ・メッカと言われて
きた経緯があり、アレサ・フランクリン、ディジー・ガレスピー、グラディス・ナイト、ジミー・ス
ミス、スタンリー・タレンティン、ジョー・ウィリアムズなどのトップネームのアーティストが出演
し、知られるようになった。
それとともに、アトランタで唯一、当時の分離された都市で黒人に開放されたナイトクラブでもあり
客の4割は黒人で、また同性愛者に対する寛容さもあった。
クラブはロバートとジェームズ・パスカル兄弟が所有していたが1996年に閉鎖されている。
冊子中ほどにウェス・モンゴメリ・クウォーテットが【ラ・カルーセル】
に出演中との広告があった。
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Live at La Carrousel, Atlanta GA; Naw thru Oct. 29 1966
Wes Montgomery(g), Buddy Montgomery(p), Monk Montgomery(b),
Billy Wilson(dr)
アトランタ唯一のモダンジャズの本拠地であるナイトクラブ【パスカルの
ラ・カルーセル】は10月29日まで、ウェス・クウォーテットが出演してい
ます。
このグループは現在《ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド》のレコ
ードがヒット中です。
演奏は午後9から深夜2時です。
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《ゴーイング・アウト・オブ・マイ・ヘッド》がリクエストされたのかな
・・という広告ですが、確かにウェスは1966年にこの《Goin' Out Of My
Head》でグラミー賞を獲得していますが、気になるのがメンバーです。
モンゴメリ3兄弟は1962年4月モンゴメリ・ブラザーズを解散したが、以
降モンクとバディはおのおのグループを組んで他のバンドに参加しており、
何らかのイヴェントに参加する時はマスターサウンズを名乗ったり、ウェ
スがいるときはモンゴメリ・ブラザーズとして出演していたのは周知して
いる。
が、ドラマーのビリィ・ウイルソンって誰だろ。
60年代ちょくちょく共演したビリィ・ハートは William "Billy" Hart でもないだろうし、ネット検索
すると同姓同名のビリィ・ウイルソンという既に他界しているドラマーがいた。
50年代にロックンロールで最初にドラマーとなった人物とあるが、いくらウェスも同年代に若干足をつ
っ込んだとはいえまさかとは思うが、よくわかりないに留めておく。
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