ニュース速報 No.99(2010.7.17号)


ウェスがディアンジェリコのギターを?

JAZZ GUITAR 2009/jazzLife
関東方面を中心に活動されています華麗で繊細なギタリスト、粟澤博幸(あわざわひろゆき)氏は日本 のジム・ホールと呼ばれるほど多くのファンを魅了し続けています。 彼はちょくちょく音楽専門誌にも寄稿されているということで、ご存知のかたも沢山おられると思い ますが、ここに、JazzLife2009 "ジャズギター入門特集号"でウェスのギターについて粟澤氏が書かれ た大変興味深い記事がありました。 「・・・ウェスはオフ・ステージでは、L-5CES以外のギターも楽しんでいたようだ。 かつて一台の古びたナチュラル・フィニッシュのディアンジェリコのエクセルに出会ったことがあっ た。とてもよく使い込んだ感じのギターで、通常のものと異なるのはピックガードとカッタウェイ部 に残された右手の汗じみの痕だった。 そんな形で弾くギダー・プレイアーと言えば、そう、それはウェス・モンゴメリが所有していたディ アンジェリコだったのだ。もう一本サンバースト・フィニィシュのものも持っていたらしいが、どう もギブソンとの契約があったので家の外に持ち出して弾くことはほとんどなかったようである。・・ ・」という部分です。 説明のとおり2009年版ですが、この記事を読んで更に詳細な事実を知りたいとずっと思い悩んでいま したが、やっと深澤氏にコンタクトが叶い真相を聞くことができました。 ウェスがギブソン以外のギターを抱えている姿は、ニュース速報 No.65(2003.11.23号)で掲載したと おりフェンダーの"コロラドU"を抱えた写真(コマーシャル用に撮影された)以外になかったと記憶し ている。 さらに、ジャズ評論家で著名な成田正氏が1998年にインディアナポリスに取材に行かれ、セレーン夫 人のインタビューや、ウェスの遺品の数々がSJ誌で紹介されましたが、ディアンジェリコのギターに ついては一切触れられていません。恐らく遺品としてなかったからでしょう。 ですから、ウェスがディアンジェリコを所有していたとは全く寝耳に水の出来事であった。 質問: ギブソンとのエンドースメント契約上、もちろんウェスにこのような事実があっても不思議で    はないのですが、あなたがどこでそのギターに出会ったのか書かれていませんでした。    詳細にお伺いしたいのですが。 深澤(敬称略): はじめまして。ウェスファン倶楽部のサイトも見せて頂きました。    私自身、若い頃からジム・ホールとウェスを敬愛してきたので、サイトの素晴らしい内容と、    管理者の情熱には頭の下がる思いです。さて、ご質問の件に関して可能な範囲でお答えします。    連載の紙面上の制約から、詳細な点については省略せざるを得ませんでした。    ただ、15年ほど経ってしまって、かの楽器の記憶も若干薄れ、詳細なお答えが出来ない事が歯    がゆくも思えています。    具体的には、当時付き合いのあった買い付けバイヤーからの持ち込みでした。    現物を最初に手にしたのは、そのバイヤーの日本での当時のオフィスだったと思います。    連絡を受けて出向き、簡単ないきさつを聞いたように思います。    ディアンジェリコは2本あって、そのうちの一本だと言う事、どちらも彼のファンまたは後援    者がウェスに贈ったものだという事や、このナチュラルは彼の遺族のもとから手放されたモノ    であったというような話だった思います。 質問: ウェスの遺族・・おそらく子供か孫・・が放出したものと思います。    以前もアメリカのオークションにウェスが生前受賞した盾やメダルが出品されていました。    ウェスの遺族がその品物を保証しますと、書かれてありました。    そういえば、ハートのL-5も放出され、その後ボヤに遭いギブソンに持ち込まれた経緯を考えま    すと、無茶な遺族がいるんですね。    それで「ピックガードとカッタウェイ部に残された右手の汗じみの痕」という部分も大変気に    なりますが、何故ウェスと言えるのでしょか。 深澤: じっくり、その楽器を弾く事は出来ました。    ウェス・モデルのハート、又はダイアモンド・インレイにあたる部分が汗じみではっきりと茶    色く痕がつき、それは表面板の木地までいっている感じでした。同様に、ピックガードも多分    汗によると思われる劣化があり、それらは通常のピック弾きの右手フォームではまずあり得な    い位置、逆に言えば親指奏法でなければそうはならないだろうというポジションでした。    ご存知の様に、ディアンジェリコのセルロイドや樹脂類はギブソンなどのものより遥かに加水    分解などの劣化を生じ易いものだったため、そのような痕跡が明瞭に残ったものと言えます。    しっかり使い込まれていたという印象でした。そのため、本人が愛用していただろうとの推測    をしました。    もちろん、これらは個人的見解であり、この楽器に関しては証明書、鑑定書等はありませんで    した。 質問: ディアンジェリコ、エクセルのナチュラル・フィニィッシュに出会ったという、その正式な型    番を教えていただけないでしょうか。    ディアンジェリコそのものに知識がなく、できればどのようなギターなのかもお教え願えれば    幸いに思います。 深澤: 全てのディアンジェリコにおいて、モデル名はありますがいわゆる各モデルにつけられた識別    記号のような型番的なものは特にありません。    大雑把に言って、トップモデルの "New Yorker" から始まって "Excel" "Style A" "Style B" といった順に並んでいました。 しかし、そのどれにも属さないものも結構あり、オーダー・メイドならではというところです。 カスタム・メイド・ギターという世界を確立させたディアンジェリコは、一方でオーダーした 人の意向を柔軟にきいてもいたようです。 生前のダキストとよく話をしていたとき「粟澤さん、カスタム・メイド・ギターというのは一 本々々みんな違うものなんだ。それは、出来るだけオーダー主の望むようなものに仕上げるか らで、ディアンジェリコの頃からまったく変わらない事なのさ。だから、出来上がったギター はその人のための、まさに世界でたった一本のギターなわけさ。それがカスタム・メイド・ギ ターというものなんだ。」と熱く語っていた事を久しぶりに懐かしく思い出しました。 当該ギターは、その形状・仕上げは勿論 "Excel" の文字がヘッドにインレイされていたことも 含めてエクセル・モデルであった事は間違いありません。    また、実質を重視する米国人の傾向として、最上位の "New Yorker" とほとんど変わらないで、 装飾を若干シンプルにした "Excel" (価格も少し下がる)を好むことがあり、彼のファンまたは 後援者が "Excel" をウェスに贈ったというのもごく自然な事だったと思われます。 イメージしにくいかと思いますので、参考程度の写真を貼付しておきます。 左がニューヨーカー右がエクセルです。

もちろん、この写真は全くの別のギターのもので、ウェスのギターはシングル・カッタウエイ と大きく異なりますが、雰囲気は良く似ていると思います。 17インチ・ボディ、ヘッド形状、グローバー製のテール・ピース/チューニング・マシーン、階 段状のピックガード、指板のスクエアー・ブロック・インレイ、これよりは黄ばみの薄いカラー 等、これと、さほど大差はなかったと思います。 この写真の個体も、多くのディアンジェリコに散見できる、ピックガードの下部に(手が当たっ た事による)劣化による白化がみられますが、ウェスの(と思われる)ものの場合は、当然ですが ピックガードの上部に白化の跡がはっきりとありました。この写真からご想像ください。 質問: 外で弾く事がなかったにしても、それはピックアップが付いていたのでしょうか。 深澤: そうだったと思います。たしか "De'Armond" の "#1000" か "#1100" だったように思いますが、    なぜかはっきりした事は覚えていません。ワンピックアップです。 思い返せば、その楽器をケースから出して手にした時、細かいところのチェックだとか、すぐに    ガシャガシャ弾こうなどと言う気にはまったくならず、長い時間、ただただ、そっと抱えていま    した。 多分その時は「初めまして、ウェス。ようやく、ようやく、あなたに会える事が出来ました。」    という感慨でいっぱいだったのでしょう。今、またあらためて懐かしい気持ちになりました。 質問: 伝わってまいります。流石はギターを愛する一流プレイアーの自然な行動と思います。    私も、そのエクセルのナチュラルにお目にかかりたいのですが、そのバイヤーとは連絡が取れる    のでしょうか。 深澤: 残念ながら全く消息がつかめません。    最期に、エピソードを一つ。    ジム・ホールに聞いた話ですが、彼らは結構知り合いで、時には同じクラブで交代に出演(その頃    ジムが在籍していたのがジミー・ジェフリーか、アート・ファーマーのグループのどちらかとと言    っていたが、失念してしまいました)することもあったりして、自分の出番が終わった後、客席に    回って友達のウェスの演奏を聴いたりもしたと言っていました。    さらに、「一体どうやったら、あんなにうまく弾けるようになるんだい?」と訊くと「いや〜、家    で練習なんか全然しないさ」と煙に巻かれたと、笑っていました。    ウェスと一緒にタクシーに乗り込む時に「ウェス、気をつけろよ。その大事な親指をタクシーのド    アに挟んだら元も子もなくなるぞ」と脅かしたんだ、と楽しそうに話をしてくれたこともありまし    た。 深澤様、本当にいいお話をお伺いすることができ感謝いたします。 この記事を読まれたファンは私をはじめひと時の感動をいただきました。ありがとうございました。 以上、ウェスに関して重大な記事として、深澤氏の了承を得て掲載いたしました。
そしてもう一つ、この話に関連していたことを紹介します。小泉清人氏 の "OGD" にドラマーとして活動されています山口新語氏が2003年に 《First Page/Sax Records SAX-3》というタイトルで初リーダ・アルバ ムをリリースされています。 そのCDでギターとして参加していたのが粟澤博幸氏です。 なんと全9曲のうち8曲が粟澤氏の自作曲なんですが、中でも2曲目の 〈Luthies's Promise〉はディアンジェリコではないのですが、ダキスト に捧げた曲とあり、彼に特注依頼したが完成前に死去されたとのこと・ ・と書かれてありました。機会がありましたら一度聴いてください。