Wes Montgomery(g) Freddie Hubbard(tp) Waymon Atkinson, Alonzo Johnson(ts) Joe Bradley(p)
Buddy Montgomery(vib) Monk Montgomery(b) Paul Parker(dr)
Indianapolis; Dec.30,1957
Sound Carrier [6:55]
Bud's Beaux Arts [7:32]
Billie's Bounce [4:41]
Bock To Bock [10:08]
omit: Freddie Hubbard(tp), Waymon Atkinson, Alonzo Johnson(ts)
same dates
Lois Ann [4:44]
omit: Joe Bradley(p)
same dates
All The Things You Are [3:58]
モンクはこのレコーディングについて、兼ねてから構想を抱いておりそのメンバーも“マスター
サウンズ”としてではなく、インディアナポリス地域で活動する彼の親友らと、ウェスを含む地元
のミュージシャンで固めており、その事情について次のように語った。
『ピアノのジョー・ブラッドレイは元々オ ベスト・メンバーで準備が進められてきたに
ハイオ州アクロンの出身なんだが、ここ数年 も係わらず、なかなかレコーディングができ
はインディアナポリス周辺で働き、テナーの まなかった理由についてモンクは、『我々は
ひとりウェイモン・アトキンソンも同じアク この日のためにそれなりの準備をしてきた。
ロンの出身で、中西部一帯のいくつかのバン 1957年の秋に私とバディが“マスターサウン
ドで演ってきたが、ふたりとも今はインディ ズ”とサンフランシスコのベイ・エリアで活
アナポリスに腰を落ち着け、昼間は他の仕事 動している間、バディはアレンジにとりかか
を続けながら主に週末だけプレイを楽しんで った。
いるようだ』。 レコーディングの日がくるまで他の連中には
『ペットのフレディ・ハバードはまだ19歳で 練習を積み重ねさせておき、我々がクリスマ
インディアナポリスから遠く離れたことは一 ス休暇で帰った時、直ぐに本番ができるよう
度もなくもうひとりのテナー、アロンゾ・ジ にとパート譜をインディアナポリスへ郵送す
ョンソンは、むかし私がハンプトン・バンド るつもりだったんだ。
に入団する前に、モンゴメリ/ジョンソン・ それでバディはアレンジを完成させ実家に送
クウィンテットの主力としてインディアナポ ったんだが、トラブルがあって届いていなく
リスを離れ活動していた頃、我々3兄弟とよ ってね、我々が帰るとバディは慌ててもう一
く演ってたんだ。 度パート譜を書き直すというはめに追い込ま
そういえば、ドラムスのポール・パーカーも れた、という訳なんだ。
インディアナポリス地域の出身なんだ』。
この新メンバーは殆どが昼間は働いて、ア レコーディングはいつも使っていた、チャッ
フター・ファイヴに音楽活動をしていたので ク・べリィのリハーサル・スタジオと思われ
、揃ってリハーサルできる唯一の時間が閉店 、「《モンゴメリ・ブラザーズ・アンド・フ
後の午前2時頃で、結局レコーディングのた ァイヴ・アザーズ》のパート譜がアクシデン
めのリハーサルも精々2日ほどだったよ』。 トに遭いながらにも既に書きあがっているん
と、これまでの経緯を語った。 だけど」とモンクから聞いたボックは、「そ
れならば一緒に録ろうじゃないか」という事
ボックがシカゴに立ち寄ったところに話を になり《ファイヴ・アザーズ》が先に録られ
戻すが、〈フィンガー・ピッキン〉の件で電 最後に〈フィンガー・ピッキン〉をワン・テ
話を受けたモンクは、ウェスらのメンバーが イクで録りあげてしまった。
急な話に昼間の仕事から抜けられない事情を
伝えると、それならばボックがインディアナ 1957年といえば、エルヴィス・プレスリーの
ポリスまで足を延ばすということになった。 《監獄ロック》が大ヒットしたが、それを横
(注:ここまでの話で、過去私のディスコグ 目に彼らは地道な活動を続けており、《ファ
ラフィを含め多くの記述でレコーディング場 イヴ・アザーズ》でのバディのアレンジや選
所がシカゴとインディアナポリスに別れてい 曲において、素晴らしい仕事をやり遂げたと
たが、《ハヴ・ブルーズ・ウィル・トラヴェ いうことも明らかであり、ここに聴かれる6
ル》のライナー・ノーツからは《ファイヴ・ 曲は古いものと新しいものを巧くミックスさ
アザーズ》と〈フィンガー・ピッキン〉が同 せた、8人の男達の才能を窺わせる絶好のチ
日の同じ場所で録られたと読みとれることか ャンスとなった。
ら、総てをインディアナポリスとした。)
バランス的にも内容的にも、アメリカで今 新しいグループをみると必ず【影響】の問
まで作られた最高のバラッドと思われる〈オ 題がでてくる。どんなに創造豊かな人物でも
ール・ザ・シングス・ユー・アー〉と、バデ 、【ひとから影響をうける】のと【ひとのを
ィの作曲で彼の妻、ルイス・アンに捧げられ コピーする】のとでは明らかな違いがある。
シャムの雰囲気を持つ〈ルイス・アン〉では 前者は何か個性的なものを築くうえでの基礎
多くの一流ミュージシャンの足元を掬うよう となり後者は無名への片道切符のようで、モ
な何かを秘めた3兄弟の才能を示している。 ンクは自分自身についてそして兄弟について
それはスロー・テンポで、原曲の美しさを損 このように語った。
なうことなくジャズの持つ自由なインプロヴ 『私は、レイ・ブラウン、パーシー・ヒース
ィゼーションを加えプレイしている。 それに仲の良い友人で同郷のレロイ・ヴィネ
古いバップ時代のスタンダード、〈ビリーズ ガーが凄く好きだし、バディはミルト・ジャ
・バウンス〉〈サウンド・キャリア〉〈バッ クソンとバド・パウエルに懲り、ウェスはチ
ズ・ボゥザー ル〉 は主としてホーンのため ャーリー・クリスチャンに入れ込んでいる。
のスウィング曲だが、とりわけバディの派手 そして2人のテナー奏者は明らかに後期バッ
で心に焼き付くようなヴァイブがアレンジさ プ時代の東海岸派に傾倒しており、一方若き
れてある。 トランペッターは目下マイルスとクリフォー
アルバムのなかで最も長く傑出した〈ボック ドに夢中なんだ』。
・トゥ・ボック〉は、スタンダードになりえ 『我々は、同じメンバーでもう1枚アルバム
るための総ての要素を持っており、ミルト・ を作りたいと思ってる』、とモンクはいう。
ジャクソンの〈バグス・グルーヴ〉や、ホレ 『みんなスタジオでは少し緊張してたんだ。
ス・シルヴァーの〈ドゥードゥリン〉が持つ 彼らの殆どがレコーディングは初めてだし、
同じ感じの素朴なフット・ストンプがある。 それにリハーサルの時間があまりとれなかっ
たのが、何より痛かったね。だからぎこちな
く聴こえると思うんだ』。
国内プレスはリリースされていないので、彼等のプレイを聴くことができないでいるファンがた
くさんいるが本当に彼等はコチコチだったのだろうか。
=本アルバム=ライナー・ノーツ参考=
結局、「同じメンバーでもう1枚アルバム」といっているが、実現されなかった。残念!
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