Harold Land(ts) Joe Gordon(tp) Wes Montgomery(g) Barry Harris(p) Sam Jones(b) Louis Hay-
es(dr)
Fugazi Hall, San Francisco;May 17,1960
Terrain [7:44]
Compulsion [6:47]
same personnel:
Fugazi Hall, San Francisco;May 18,1960
Ursula [7:10]
Klactoveedsedstene [9:55]
Don't Explain [4:50]
West Coast Bluse [6:01]
ハロルドの音楽活動上でもっとも記憶に深い 同年5月になってキープニュースは、キャノ
出来事といえば、"クリフォード・ブラウン/マ ンボールがウェスと一緒に録りたいというこ
ックス・ローチ・クゥィンテット" の初代サッ とから再びウエスト・コーストに向かった。
クス奏者であったことだ。 その時 "キャノンボール・クゥインテット"
1954年に結成されたが、1年も経たないうちに は "ジャズ・ワークショップ" に出演してい
ソニー・ロリンズと交代してしまった。 たことから、これに絡めていくつかのプロジ
その理由はこのバンドがウエスト・コーストを ェクトを思いついた。
離れることになったからで、ハロルドは頑なに 先ずは "ジャズ・ワークショップ" で5月15
この地を愛していたことにあった。 〜16日にかけて、"キャノンボール・クゥイ
そのことで "マスターサウンズ" と出会いウェ ンテット" のリズム・セクションだけのレコ
スとも繋がりができたわけである。 ーディングで、ティモンズの後釜になったば
1960年4月、ハロルドは若くして死んだジョー かりのバリー・ハリスを起用した。
・ゴードン (ガレスピ・バンドの出身で大きな ハリスはデトロイト出身のピアニストで、《
期待が寄せられていた) とバンドを結成してい アット・ザ・ジャズ・ワークショップ/Rive-
た。 rside RLP12-326 》がリヴァーサイドでのデ
そんな折、同じ地で大活躍中の "キャノンボー ビュー・アルバムとなった。
ル・クゥインテット" のことで度々訪れていた
キープニュースは、彼のテナーにひとめぼれし
セロニアス・モンクの《アット・ザ・ブラック
ホーク/Riverside RLP12-323》にゴードンと共
に共演させた。
続く17〜18日は地元の公会堂(キープニュースの証言により確認できた)を利用して、本アルバムの
レコーディングがおこなわれた。
前日までロスにいたハロルドとゴードンを呼び、 "ジャズ・ワークショップ" で出演中のバリー・ハ
リス等をそのままバックに起用した。
ハロルドの拘りは単にこの地だけではなくバリバリのハード・バッパーでもあることから、キープニ
ュースは何とかウエスト・コーストの雰囲気を混入させたいと、ウェス・モンゴメリの起用を考えつ
いた。
ウェスは、"モンゴメリ・ブラザーズ" としてローレンス・マラブルのドラムスを加えシスコにある
"スウィンギン・ランタン" との出演契約が終えた時でもあり、話は一気にまとまった。
「やあ、元気で演ってるか」、と恐らくハロルドとウェスの挨拶が眼に浮かぶような気心の知り尽く
した何ともいえない暖かさを感じる内容が、アルバム・タイトルにもあるウェスのオリジナル<ウエ
スト・コースト・ブルーズ>に聴くことができる。
バリー・ハリスについての追加談
彼は強引なキャノンボールからの誘いの電 このアルバムでのウェスはサイドとして友人ハ
話を受ける前、たった一度だけデトロイトを ロルドとの共演よりも、むしろバリー・ハリス
離れたことがあった。 (ハロルドもそうだっ と一緒に演れたということがたいへん貴重な経
たし、ウェスもハンプトン退団以後は離れる 験となった。
ことを嫌った。しかし仕事を請けるからには 私としては管楽器がなければいいなという、贅
しかたなくなるんだよね。) 沢な考えも一時持ちましたが、ウェスはハリス
それは1956年にマックス・ローチと3ヶ月間 のピアノがとても気に入ったようであった。
のロードだった。 ハリスの作曲した<ロリータ>は、以後ウェス
帝王マイルスでも地元でならいいという条件 のレパートリーに採り入れられていることで証
で出演したのに、どうしてマックスとは出か 明できよう。
けたのかという質問に、彼はキャノンボール
のグループには長年敬服していたし、デトロ
イトでルイ・ヘイズのことを知っていたから
といいながら、肩をすくめて付け加えた。
「本当のところは自分でも解らない。ただそ
の時期が来たんだと思った以外はね。」
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