Wes Montgomery(g) Buddy Montgomery(p) Monk Montgomery(b) Lawrence Marable(dr)
San Francisco;Fall,1960
Monterey Bluse D-Natural Bluse [6:25] Fantasy 3308
June In January [6:42] −
Bud's Tune [6:27] −
Lover Man [8:57] −
Jingles [10:00] −
先ごろ《モンゴメリ・ブラーザーズ・イン・カナダ》はりリースされたが、このアルバムは国内
未発売。もっとも古く《ウェス・ベスト/ 東芝 LFP-88047》として〈バッズ・チューン〉以外は聴
けていましたが、オリジナル装丁ではやくリリースして欲しいアルバムである。
"マスターサウンズの最期"
サンフランシスコのジャズ・ファン達は衝 この新グループはどことも契約を結んでおら
撃を受けた。 ず、コロンビア・レコードのジョン・ハモン
つい最近、ダウン・ビート誌の国際ジャズ批 ドとの交渉に臨んでいるという噂も流れてい
評家投票のコンボ部門で新人賞を授賞したば た。
かりの "マスターサウンズ" が近々解散する "マスターサウンズ" のドラマーであったベ
というのだ。 ニィ・バースはシスコに留まって自己のコン
街中「信じられない」、という声声でもちき ボをスタートさせるようだし、ピアニストの
りだったが本当のことであった。 リッチー・クラブトリーも同じシスコでデイ
2年前にグループが初めてのステージとなっ ヴ・ブルーベックやポール・デスモンドの先
た同じ "ジャズ・ワークショップ" で解散、 生であるフレッド・サッタマンのもとで勉強
2月1日にはすでに彼等のバンドは存在しな し、将来自己のトリオを結成するという。
くなっていた。( 訳注: でも実際にはウェス
が抜けたときなど再編し、しかもレコーディ 「あれこれ考えた末のことなんだ。」とモン
ングまでしている。) クはいう。「我々の結論はもうこれ以上協調
長兄のモンクと末弟のバディがウェスを含む できないということであったが、全員解散と
新グループを結成しつつあるという噂は驚く いう結果を残念に思っている。」と、別の一
にあたらない。というよりそのために "マス 人はモンクの感想を繰り返すようにいった。
ターサウンズ" を解散したといってよい。 そして、これはシスコのジャズ・ファン達の
グループの形成を整えるのに、サックスのハ 感想でもあった。
ロルド・ランドとドラムスのローレンス・マ
ラブルが参加する予定となっており、バディ
がピアノとヴァイブを兼ねることになった。 =ダウンビート誌 Fev.18,1960=参考
"モンゴメリ・ブラザーズ" の結成
新グループの構想に、ウェスは兄モンクの 60年2月 "モンゴメリ・ブラザーズ" の結
誘いに再度断れず、というのも "マスターサ 成前より、具体的には1月11日〜3月20日ま
ウンズ" への参加では断ってきたことから承 で、バディは "マイルス・デイヴィス・セク
諾ということになった。 テット" に一時的に参加したことにより中断
1960年2月上旬、ウェスはシスコで活動する したが、3月下旬から5月上旬にはフル・メ
兄弟達と合流し、 "ハングリー・アイ" でハ バーでシスコのサクラメントに在る "スゥイ
ウス・バンドとして実質的に "モンゴメリ・ ンギン・ランタン "で活動を再開させた。
ブラザーズ" を始動させた。 6月上旬にはウェスがキャノンボールとの《
ここまでの話でハロルド・ランドは結局メン ポール・ウィナーズ》での共演でバンドを離
バーに加わらなかったし、契約したレコード れたりしたが、9月23日から25日にかけてカ
会社もコロンビアではなく後年リヴァーサイ リフォルニア州のモンテレイで開催された、
ドが傘下になったファンタジーだった。 "モンテレイ・ジャズ・フェスティヴァル "
これはウェスが独自でリヴァーサイドと契約 に彼等は最終25日の夜の部に出演した。
していたため、コロンビア・サイドが回避し 総合司会の "L・H&R "(ランバート・へ
たとも思われるが、憶測としてコロンビアと ンドリックス・アンド・ロス)がお得意のヴ
契約していればもっと多くの "モンゴメリ・ ォーカルで全出演者を紹介するが、 "モンゴ
ブラザーズ" 盤が制作されたのではないか、 メリ・ブラザーズ" は<D- ナチュラル・ブ
「とらぬ狸の何とやら」、という気もする。 ルーズ>の演奏が大いにうけたようである。
レコーディングに関してはファンタジーとリ これをきっかけに、というよりウェスの参加
ヴァーサイドの話し合いがキープニュースに で "モンゴメリ・ブラザーズ" の知名度がよ
より、交互に録るというようにとりまとまっ り全国に広まった。
た。
レコーディング・データ
そういったなかこのアルバムは "モンゴメ 「もともとファンタジーが間違っていた<モ
リ・ブラザーズ" の初レコーディングとなっ ンテレイ・ブルーズ>は彼等が勝ってにつけ
た。 たもので、その前に《インクレディブル・ジ
録音年月において、イェプセン等では1960年 ャズ・ギター》のアルバムでは<D- ナチュ
7月と記述されていたが、改めて同年秋頃( ラル・ブルーズ>として録音されたものなん
個人的な意見では10〜11月) と断言する。 だ。」と、そのいい加減さを指摘している。
その理由は、キープニュースの回想によると 「恐らく "モンゴメリ・ブラザーズ" が "モ
「1960年の秋、名前も忘れたがシスコのある ンテレイ・ジャズ・フェスティヴァル "に出
スタジオで演った。」というモンクの証言を 演したとき、この演奏がうけたことから名づ
得ている。 けたものであろう。」と付け加えた。
更にはダウンビート誌にも "モンテレイ・ジ
ャズ・フェスティヴァル "に出演後、バンド ウェスは10月12日に独自のリーダ作《ムーヴ
として初めてのレコーディングがファンタジ ィン・アロン》をレコーディングするが、そ
ーによりおこなわれた。との記事もある。 の後10月中旬から11月5日まで初めての遠征
もうこれ以上の確証を掴むこともないであろ となる、NYに在る "ハーフ・ノート "に出
う。 演している。
ファンタジー・データのいい加減さは他にも 最後に彼ら名義で《モンゴメリ・ブラザーズ
あり、キープニュースが2つのタイトルを持 ・イン・カナダ》がこの年の12月にレコーデ
つ曲の説明をしている。 ィングされたという間違いについても、その
項で説明する。
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