Wes Montgomery(g) With strings arr. & cond. by Don Sebesky:
Harold Coletta, David Schwartz(vla) Arnold Eidus, Lewis Eley, Paul Gershman, Louis Haber
Julius Held, Harry Lookofsky, Gene Orloff, Jos Malignaggi, Sol Shapiro(vln) George Ric-
ci, Charies McCracken(cel) Margaret Ross(hp) Roger Kellaway(p) Bob Cranshaw(b) Grady Ta-
te(dr) *add Candido Camero(bgo.cga)
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; May.16,1965
Just Walkin' (alt.take) [3:37]
〈ジャスト・ウォーキン〉の別テイク1曲が挿入されていたが、本テイクとされるものが1971年
リリースの《ジャスト・ウォーキン/Verve V6-8804》なるヴァーヴの未発表曲集で聴ける。
当時恐らくクリード・テイラーがリリースにあたり、〈マイ・ワン・アンド・オンリ・ラヴ〉とと
もに収録できなかっただけの理由だけで、外されたと思う。
このCDのライナー・ノーツでアレンジ担当のドン・セベスキーがクリード・テイラーとの親密な
関係を書いているので紹介する。
再発した《バンピン》
ウェス。----彼の人格が非常に多くの思い出をもたらす。----
彼の音楽は陽気な性格の反映であり、常に大物な微笑、笑顔、そして心暖まる握手、実に素晴ら
しい男であった。
ウェスの《バンピン》はクリード・テイラーが最初に手がけたシリーズであり、共に築いた最初の
アルバムでもあった。
テイラーは、私が手がけたアルバムを聴いたらしく、突然電話をかけてきた。
そのとき私はTVの仕事中であったが、少し前リヴァーサイドからヴァーヴに転籍してきたウェス
のためのアレンジを依頼する内容であった。
彼はウェスがリヴァーサイドでのレコーディングの殆どがジャム・セッション風のものだったこと
から、自分なりのアイディアも持っているらしく「どのように録りあげるつもりですか?どのよう
な作風がいいと思うのですか? 」、と私とウェスに尋ねてきた。
でも彼は「スタンダードとオリジナルを織り交ぜ、優雅なストリングス・アンサンブルにウェスの
ユニークなパッカーシヴなギター・サウンドを結合させたい」と提案したが、本当は自分のアイデ
ィアに賛同してくれると踏んでの依頼のようだった。
結局多くの議論をすることなく、テーラーは「じゃ、お願いします」と満足げであった。
私は約束の日にアレンジを完成させ、彼らが待つNJ州イングリウッド・クリフスのルディ・ヴァ
ンゲルダ・スタジオに持っていったが、既に才能あるミュージシャンが9分通り揃っていた。
私は活況あるエネルギーをこのプロジェクトにもたらしたボブ・クランショとグラディ・テイトを
獲得しながらにも、ウェスやテイラーと一度もやったことがないので、どのように録りあげていく
か迷っていた。
そしてミュージシャンを満足させるためにはいかにバックのストリングスを導き起こすか、これら
全て直感を頼りにした。
準備の段階で、先ずソロイストのサウンドを繰り返し試みてから本録することにしたが、もし私の
アレンジが良ければソロイスト達からは何の不満も出てこないはずである。
次に最初のチャートをチェックしてから音響のバランスを考え数回のテイクを重ねた後、ウェスが
あまり気乗りしていないことに気付いた。
実際、彼は眉をひそめていた(その後この光景は見なかった)が、とにかく満足いくテイクを得よ
うとした結果、バランスは悪くまとまっていなかったことに、明らかに不満足な様子であった。
およそ1時間後、我々はプレイバックを聴くためコントロール・ルームに集合した。
それなりの成果は得られていたが、ウェスがいつものようにプレイしている明快さと情熱さは聴け
なかった。
今日のウェスは終始ためらいがちな様子だったのと、これ以上他のソロイスト達にも私の都合で録
音を続けさせることはできなかったことから、成果を得ることなく終わることにした。
その事情をウェスと論じたとき、彼は最後に悩まされたことについて語ってくれた。
「誰しもそうなるだろう」といい始め、「すべてのジュイリアード猫 (訳注: ストリングスの音と
思われる) があそこで泣き叫ぶんだ。全く絶えれなかったよ」。
貴方はこの素晴らしい独学の天才ジャズ・プレイアーが、クラシック・プレイアーによって脅かさ
れそして固まったと想像することができますか ?!
そこで、テイラーの提案で別のアプローチを採り入れることにした。
それはリラックスに演れて、しかも極自然に思いついたことだが、ウェスとリズム・セクションを
防音壁で枠囲いすることだった。それにより、再びスタジオは彼の笑顔で活気を取り戻した。
それから私はレコーディング・テープを持ち帰り、ウェスのソロをチャートに入れ込むのではなく
彼のソロに基づいて新しいチャートをうち立てたことによりうまく運んだ。
以後、ウェスのすべてのアルバムにこのアプローチを採用した。
勿論テイラーも同様、全てのアーティストのレコーディングにも使ったようであり、彼の後の "C
TIサウンド" の基礎となった。
他にも多くのミュージシャンが私をモチーフとして真似たり、部門間の間仕切り用としても活用さ
れていた。 (訳注: その間仕切りを使ったレコーディング風景がこのアルバムのライナー・ノーツ
で見られるが、これはリヴァーサイドでの《ムーヴィン・アロン》のものでありテイラーが考え着
いたものではないと思うのですが、解りません。)
このように書くと私がそのリズム・セクションに参加し、そのアンサンブルの中心的役割であるよ
うに感じられるが、特にクリエイティヴなミュージシャンと運良く録る機会ごとに、必ずこのアプ
ローチでレコーディングしている。
《バンピン》について回顧するならば、私も含め全てにおいての黄金時代の始まりであったと言わ
なくてはならない。
でもあの時はそのことに気付いていなかったが、我々は家族ぐるみのような雰囲気で働いていた。
我々はプロジェクトの要因を論じるために集まり、そこで貴重な意見が交わされた。
シンセサイザーという物が出現する以前に《バンピン》はレコーディングされたが、すべてのミュ
ージシャンがお互いのサウンドを頼ることで、ドラマーはドラムスが叩け、ベーシストはベースを
弾くことが出来た。
ひとりで電子楽器的にすべてを演ることはなかったので、ひとりひとりの長いソロも尊重されたわ
けである。
テイラーは絶えず他の創作する人達との情報を交換していたので《バンピン》をレコーディングす
るときも、全て相互によい働きをした。
プレイバックを聴いて私は一丸となったスピリッツを耳にした。それは新鮮な空気のように伝わっ
てきた。
ウェスのサウンドは永遠である。 彼はチャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、スタン・
ゲッツ、それにビル・エヴァンス等と共にそのサウンドは特徴的で聴いて直ぐに判るもので、多く
に敬愛され手本となる特別なカテゴリに分類される。
最近《バンピン》のフィーリングを真似ようと努力するギタリストのレコードを何枚か聴いたこと
がある。
パット聴いただけではどれが30年前の彼のものか判らないが、でもウェスのインパクトは他とは違
った何かを訴えるものがある。
もしこのアルバムがウェス・モンゴメリとの最初の出会いであるなら私はあなたを羨ましく思う。
何故なら、初めから彼の優れた才能の素晴らしい音楽を経験できるという特典を受けられるからで
ある。
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