Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Paul Chambers(b) Jimmy Cobb(dr)
Live at "Half Note", N.Y.C.; Jun,1965
No Blues [13:00]
If You Could See Me Now [6:45] [8:21]
Wynton Kelly(p) Wes Montgomery(g) Paul Chambers(b) Jimmy Cobb(dr)
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Sep.22,1965
Unit 7 [7:30]
Four On Six [6:45]
What's New [6:00]
ウェス生涯のアルバムでこの《スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート》が【最高!!】と感じ
ているファンは多いと思う。
その誰もが同じく感じるのはA面挿入曲、マイルス作曲の〈ノー・ブルーズ〉であろう。
ここでのウェスの神がかったプレイに今更言及することもないが、一言加筆するならばウェスのプ
レイにケリィはバッキング止め振り返って見とれるほど何もかもが【最高!!】だったという。
あまり【最高!最高!】と一本調子な感想だと怪しげな宗教団体の一派かと思われても困るが、「百
聞は一聴に如かず」いや「一見」かな?まあ、とにかく聴けば聴くほどウェスの崇拝者になってし
まうのだ。
ん----やはり宗教関係者----いえいえ、でもウェスが教祖ならそれこそ【最高!!】です。----何で
こんな話しになっちゃったの----実際イギリスのメソジスト教祖にウェズレイ(Wesley)というのが
いたが、ワールド・パシフィック盤《キスメット》でのライナー・ノーツではウェスのことをウェ
スレイ(Wesley)と紹介している。
さてウェスは1965年5月8日、もしくは9日にはヨーロッパ・ツァーから帰国しつかの間のファ
ミリーとの団欒を満喫していた。
その再活動後の初レコーディングが本アルバムのB面3曲、9月22日にルディ・ヴァン・ゲルダの
スタジオで録られたもので、何故3曲だけで終わったのか?A面での補足的に録られたものなのか
詳細は不明である。
A面は "ハーフ・ノート" でのライヴとされているが、彼等名義のアルバムはその全てが非公式な
レコーディングであり、本来はWABC−FM局のラジオ放送が目的で行われ、その副産物 (エァ・チェ
ック・テープ) によりアルバム化されたものであるから、このA面もそういった意味から考えると
正式なレコーディングだったのかどうか疑問の残るところである。
ましてレコーディングというのは本人が意識して録られたものだから----しかしこの定義から外れ
たものに意外と【力作力演】が見うけられるのもライヴがもたらす影響ではあるが----当初からレ
コーディングの目的で録られ、やはり補足的に9月22日のレコーディングで仕上げられたと考える
のが妥当なところでしょう。
ウェスとケリィの共演は1961年12月、リヴァーサイドでの《バグス・ミーツ・ウェス》、続いて
62年6月名盤《フル・ハウス》で聴く事ができるがヴァーヴに移籍してからはこの《スモーキン・
アット・ザ・ハーフ・ノート》が3年振りの顔合わせとなった。
ではこの2人、いつから "ハーフ・ノート" で演っていたのか検証してみた。
先ずヨーロッパ帰国後のウェスだが、腕試し、いや指慣らしに短期間でのロイ・ブルックス・トリ
オとのジョイント・コンサートを楽しんだ。
ウェス・モンゴメリ・ウィズ・ロイ・ブルックス・トリオ
ウェス(g)、ヒュー・ローソン(p)、アーサー・ハーパー(b)、ロイ・ブルックス(dr)で5月28日
〜6月6日までデトロイトの "ドローム・バー" に出演し、6月7日〜6月19日までは故郷インデ
ィアナポリスの "ミスター・ビー" で地元の大声援を受けて熱演を見せた。
ウェス・アンド・ケリィ・トリオの初演
一方、ケリィ・トリオは6月7日〜6月13日、ボストンにある "ジャズ・ワークショップ" に出演
した後フィラデルフィアにある "ショー・ボート" で6月21日〜6月26日までウェスを迎えて意義
あるスタートをきった。これがウェス・アンド・ケリィの初演となった。
そしてこの間の6月25日、フィラデルフィアから現在の特急電車で約1時間30分、NYにある "ハ
ーフ・ノート" で歴史的なライヴ・セッションがWABC−FM局のラジオ中継を交え初めて "ウェス・
アンド・ケリィ・トリオ" が紹介され、これが後の問題作《ウィロウ・ウィープ・フォー・ミー》
の音源となった訳である。
《スモーキン・アット・ザ・ショー・ボート》???
ここで疑問となるのが《本アルバムA面》2曲のレコーディング・データである。
私自身いち時期5月と記載したことがあったが、それは《スモール・グループ・レコーディング/
Verve VE-2-2513 》によるデータを参考にしたもので、前述のように6月21日以前にウェス・アン
ド・ケリィの接触がなかったことになる。しかも6月の残された27日〜30日に出演した痕跡もみあ
たらなかった。
が、ここに95年4月リリースの2枚組CD《ヴァーヴ・ジャズ・セイズ/Verve 314 521 690-2》
のライナー・ノーツには "6月24日/ハーフ・ノート" との記載が確認できた。
このデータを信ずるなら、6月21日〜6月26日は "ショー・ボート" に出演しながらにも、6月
24〜25日と "ハーフ・ノート" に出演したことになる。
いくら両クラブが近いからといっても電車で1時間30分の距離を掛け持ちしたのであろうか?
ダウンビート誌の【クラブ情報】の日程が変更されないこともあるから全て正しいとも限らないし
いずれにしても6月24日はラジオ中継されていないが、ひょっとすると《本アルバムA面》2曲は
"ショー・ボート" の可能性も考えられる。
過去の経緯からもヴァーヴのデータにはずいぶん振り回されたことから全面的に信用することがで
きなく、仮にフィラデルフィアでの音源となれば《スモーキン・アット・ザ・ショー・ボート》
となっていたことになるが本アルバムがリリースされた66年1月までは殆どが "ハーフ・ノート"
に出演していたことから、ヴァーヴが故意にタイトルづけしたとも考えられる。またまた飛躍的な
発想と思われそうですね。
でもこの2曲って他の "ハーフ・ノート" 録音よりバランスが良いとは思いませんか。ケリィもウ
ェスも見事に再現されており、後で説明するがあの狭っ苦しい "ハーフ・ノート" ではレコーディ
ング機材のセッティングに限界があると思う。
"ショー・ボート" がどれくらいの広さかは分からないが、何かゆとりのあるセッティングの中で
自由奔放なあのような名演が生まれたと感じるしだいです。
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