Wes Montgomery(g) with orchestra arr. & cond. by Oliver Nelson:
Wayne Andre, Jimmy Cleveland, Quentin Jackson, Donny Moore, Tony Studd(tb) Donald Byrd,
Joe Newman Ernie Royal(tp) Bob Ashton(sax.cl.fl) Phil Woods(as.cl) Jerry Dodgion(as.cl.
fl.pico) Romeo Penque(ts.cl.fl.pico.ob.engh) Dan Bank(bars.fl.afl.bcl) Herbie Hancock
or Roger Kellaway(p) George Duvivier(b) Grady Tate or Sol Gubin(dr) Candido Camero(cga)
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Nov.20,1965
Goin' Out Of My Head [2:12]
Boss City [3:05]
same personnel:
Van Gelder Studios, Englewood Cliffs, N.J.; Dec.7,8 and 22,1965
O Morro (aka:Once I Loved) [4:45]
Chim Chim Cheree [4:45]
Naptown Blues [3:05]
Twisted Blues [4:12]
End Of A Love Affair [3:40]
It Was A Very Good Year [3:42]
Golden Earrings [5:10]
このレコードは本当によく聴きました。
【ベスト10傑】の項で第7位にランクさせていただいたのですが、気に入ってるんですよ。
それはともかく、何から説明しようか迷っていたのですが、歴史的名プロデューサー、キープニュ
ースとクリード・テイラーの "プロデュース攻防" に関して面白い記事を見つけたので紹介する。
このアルバムがリリースされた同じ66年、ウェスがヴァーヴに移籍して3作目にこの業界の勲章
ともいえる【ベスト・インストゥルメンタル・ジャズ部門でNARASグラミー賞】を初めて獲得
した。
ここまでの経緯についてリヴァーサイドの2枚組《 WHILE WE'RE YOUNG/ MILESTONE 47003 》でキ
ープニュースは次のように語っている。
「ウェスが出現して以来、殆どのジャズ・ライターより賞賛の声が上がることにより、彼の自信
も益々強くなった。
しかし、全国規模的なリスナーの賛同はそんな簡単に得られたわけでもなかった。彼は一夜にして
人気投票のナンバー・ワンになったが、多くのジャズ・ミュージシャンがのちに彼の悲運から学ん
だように、ダウンビート誌の読者の投票だけでは生きて行けなかった。
世界の偉大なジャズ・ギタリストと認められながら未だそれだけで稼げないという矛盾に、当然の
ことながらウェスも突き当たった。
私は本音を隠し、もっと我慢しなくちゃいけないと彼に説明した。『たった1年かそこら前まで君
は無名だったしどこにでもいる貧しい人間だったが、今は貧しくてもスターなんだ。これは凄い出
世だ。』とね。
実際、経済的な余裕はリヴァーサイド時代が終わるまでやって来なかったし、そのことは明らかに
私の拘りから生じたという評価につながるであろう。
"初期" (リヴァーサイド時代)のウェス・モンゴメリは "後期" (ヴァーヴ、A&M時代)の彼に対
立するものであった。
率直に言うと、私のプロデュースしたウェスのアルバムは断固としてジャズをプレイする小編成で
彼にとって最も創造力に富んだ音楽的土壌を築けてきたと思う。
しかしそれらのアルバムは、ウェスにファースト・クラス(一流ミュージシャン)のバックをつけた
に過ぎないようにも感じる。
"後期" にリリースされたアルバムに比べるとその効果や変わらぬ重要性からはほど遠いものだ。
大掛かりなバックにポップ調のレパートリをいれ、相対的にインプロヴィゼーションを少なくした
大ヒット・レコードの数々からは・・・。
私の置かれた立場からいうと、これら莫大なレコードの売上は私につらくのしかかってきた。
しかし私にしてみれば "後期" のやり方に素直になれず、多くの知り合いのミュージシャンからの
意見も聞いているが、ウェス自信の意見も考えねばならなかった。
確かに彼は、リヴァーサイドとの契約が切れヴァーヴと契約を交わしたあと、自分のもとに寄せら
れる名声と金運を有難く感じていたと思う。
しかし、彼が《ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド》で初めて収めた大きな成功をとくに嬉し
く思っていないと、私に言っていたことを思い出した。
とんでもない屁理屈で、そんな贅沢なことを言える立場じゃないだろ『あの曲が君にもたらしてく
れた幸運を無にすることはできないんだ。私には嫌う事はできても君にはその権利はないんだ。』
と彼に言い聞かせた。
だが、ウェスが最高のプレイとは程遠い状態に陥ったと思わざるを得ない形 (つまり本アルバムの
形) で、彼が大観衆の前にさらされているという事実を私は心配した。
彼の "初期" のスタイルを支持することが彼への賛辞であり、他のミュージシャンを超えた極地で
あると感じている。」
そのあと、キープニュースは自分を含めウェスや今まで共演してきたミュージシャン等の音楽市場
がもう少し大きければ、彼の成功は (訳注: "後期" のようなことをしなくても)素晴らしいものだ
ったはずだ。多分、またそういう時期がくるだろうし、改めて本来のウェス・モンゴメリを発見す
ることが出来るだろう、と締めくくっている。
このアルバムのことで別の文献では面白いことが書かれてある。
それはキープニュースの夫人が語っている事なんですが、「主人に聴かれるのをためらってか、私
に《ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド》のレコードを持ってきたの。主人はこのレコードを
『自分でやったことだから今さら文句はいえないんだ』とけなしていたわ。」ということなんです
が、ウェスは生活のため、しかしキープニュースとの親愛関係もありこの板ばさみに複雑な心境が
窺い知れる。
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