Wes Montgomery(g) Pim Jacobs(p) Ruud Jacobs(b) Han Bennink(dr)
TV Cast, VPRO-Studio, Hilversum, Holland; Apr.2,1965
I Love Bluse Bluse [4:25] JAZZ ICONS 2.119003
Nica's Dream [8:30] −
"Love Affair" Rehearsal [6:25] −
The End Of A Love Affair [8:32] −
note: "I Love Bluse" is the title which isn't appropriate.
Wes Montgomery(g) Stan Tracey(p) Rick Laird(b) Jackie Dougan(dr)
TV Cast, "Tempo", ABC-TV, London; May.7,1965
West Coast Blues (opening solo Guiter) [0:51] JAZZ ICONS 2.119003
Four On Six [3:14] −
Full House [4:28] −
Here's That Rainy Day [5:11] −
Twisted Blues [3:17] −
West Coast Blues (closing solo Guiter) [1:11] −
この映像は特に発掘されたという事ではなく、マスター・フィルムの管理会社としてはアメリカ最
大のリーリン・イン・ジ・イアーズ・プロダクション(Reelin' in the Ye-ars Productions LLC)
が自社レーベル、ジャズ・アイコンズ(JAZZ ICONS)のシリーズ化を図り2006年にその第1弾アート
・ブレイキーなど9タイトルが、そして2007年9月、シリーズの第2弾として7タイトルのリリー
ス中に同じ欧州ツアーでTV収録されていた《WES MONTGOMERY Live In '65/JAZZ ICONS 2.119003》
が含まれていたという訳である。
このリーリン・イン・ジ・イアーズ有限会社の誇る1950年ぐらいからのアーカイブスはノーカット
フル・レンジで約一万時間(この中にはまだウェスの未発がある予感がします)にも及ぶと言われ、
そのほとんどはヨーロッパ各国、オーストラリア、アメリカのTV局でのスタジオ・ライヴを収録し
たもので、しかもジャズの巨人と称されるミュージシャンの極めて貴重な姿が捉えられている。
しかも、そのほとんどが未発表のもので当事国で1回か2回放送されただけの、正にお宝映像と言
えるものばかりである。
《WES MONTGOMERY Live In '65》で何よりファンを驚かせ喜ばせたのは3セッション挿入のうち2
セッションが未発表のもので有ったこと。
先ずは1965年4月2日、既にハロルド・メイバーン・トリオとは3月末で現地解散し単独行動とな
っておりその最初がこのオランダのヒルヴァーサム(Hilversum; オランダ読みでヒルフェルスムと
言うらしいですが、一般的にはヒルヴェルサムともよばれておりアムステルダムから車で30〜40分
くらいの閑静な旧い街)にあるオランダ公共放送組織のヴィプロ(VPRO)のスタジオで、リハーサル
風景ごと捉えられた大変貴重な映像である。
全編本番撮りのイメージではなく、ウェスは演奏中にも係わらず煙草を吹かしながら、身振り手振
りを交えた曲のコード説明などしているという全くの緊張感の感じない映像である。
1曲目は〈I Love Blues〉とタイトリングされているが単なる曲つなぎやエンディングとして使わ
れるブルーズ演奏である。(また苦言を呈しますがどこからこんなタイトルが付けられたのか・・
全く)その次は共演の3人に「〈Nica's Dream〉知ってる?」とウェスが尋ねているがウェスのレパ
ートリーとして初めて聴く曲で効果的な低音部はウェス18番のサウンドである。
3曲目は次の〈The End Of A Love Affair〉を演るにあたってのリハーサルというか、ウェスがピ
アノのピム・ヤコブスにウェス流のコード進行を教えるシーンが長々と映しだされている。
楽典知識の乏しいウェスがコードを弾いてそのコードネームを伝えようとするが、これが違えてい
るにも係わらず耳が良いというのか感が良いというのか、ヤコブス兄弟はウェスの音をよく拾って
いる、さすがオランダの一流ピアニストだと思う。
●曲名を聞かれて、ウェスは「知らない」と答えたあと、出だしのキーのことでウェスとピムの会
話が進められた。
ウェス:Ebmだけど 出だしはBbm。
ピム :違うんじゃないかな?。
ウェス:違った。Fmだ。FmのBbm始まり。
(訳注: この曲のキーはA♭でサビが平行調であるFmになるわけです)
●その後・・
ウェス:そうそう、一音ステップでずれていく。
:その部分は俺が弾くから、君はうまく作り出して、そうそう。
:もう一度、一音ステップ。
:Fm・・B7、そうそう。
:ちがう、もしマイナーなら、そうそう。それが俺のやり方。そうそう。
:ちょっと待って、ん?・・そうそう。
●満足の笑み、ピムもホッとした表情
ウェス:じゃあやってみよう。君のフィーリングとテンポで弾き始めてくれ。
:最初にひらめいたものを ピアノで弾き始めるんだ。
:で、いつものテンポとフィーリングで。
:いやこうしよう、最初はゆっくりしたテンポでやってみよう。
●そして演奏が始まり・・途中でウェスがストップをかける。
ウェス:そこのところ、Half Staff (半音進行)にしよう。そう、そう。
:そう、そこはメジャー。 同じくGmからC7、そうそう。
:あ、違う。そこはメジャー。そうそう、そんな感じ。
ピム :テンポを速くしよう。
ウェス:じゃあ、やってみよう。
●本番の演奏が始まる。
本DVDのライナー・ノーツを記載したパット・メセニーは「今までにウェスの性格は読んだり聞い
たりで知っているが、すぱ抜けた技能と才能を持っているにもかかわらず本当に暖かい、面白い、
そして精力的な男であることが分かった」と言う。
これは観てのとおり懇切丁寧に教えることを惜しまず・・つまり一流とされるミュージシャンは
普通ここまでしないというのが現実らしい・・いかに温厚な人柄であったかと言うことを証
明している。
パット自身もその温厚さに触れた経験があり「まだ畏敬の念に打たれた13歳であった1968年4月
に "Kansas City Jazz Festival" だったかな、その時ウェスにサインを求めたら言葉に言い表
せないほど親切であった記憶が私の人生のほんの短い間の出会いであったが、残っている」と言
う。(ウェスから貰ったというサインは自身のホーム・サイトにも書いていたように思うのです
が、本DVDに同梱されていたライナー・ノーツの裏側にあるサインが・・もしかして・・それなの
かな)ウェスの温厚さはともかく、このようなリハーサル場面は一般的には紹介されることなく普
通はお蔵入りかまたは廃棄処分になるのですが、それもウェスの温厚さにもまして潔癖さから言
うと彼が生前であれば絶対観られないことである。
勿論映像でなくとも、スタジオで幾つも重ね没になったテイクもしかり、ウェスが亡くなってい
るからこそ【観られた、聴かれた】という大変貴重な映像といえる。
2セッション目は、前述のベルギーのTV局で収録した "Jazz Prisma" が挿入されているが、既に
リりースされこのサイトでも紹介している事から割愛します。
ここで訂正とお詫びしたいことがあります。それはこのVHSがパップよりリリースされたとき私が
そのライナー・ノーツで1965年3月収録と記載したが、この《WES MONTGOMERY Live In '65/Ree-
lin' in the Years-2.119003》でのデータによると1965年4月4日という日付を確認した。
言い訳がましいのですが、4月上旬のウェスの行動は連日各国を巡っていたことから4月ではな
いと判断したものですが、4月4日の間隙を埋めていたのですね。大変な過密スケジュールです。
4月2日: 【オランダ】ヒルヴァーサムにて、オランダのミュージシャンとTV録画撮り。
4月2日: 【オランダ】ヒルヴァーサムにて、ヴァーラ・ラジオでクラーク・テリーと出演。
4月3日: 【オランダ】ロッテルダムにて、クラブ "B−14" に出演。
4月4日: 【ベルギー】ブリュッセルにて、TV番組"ジャズ・プリスマ"に出演。
4月5日: 【イギリス】24日まで、再びロンドンにて、 "ロニー・スコット・クラブ" に
出演。
3セッション目は5月7日、ということで全欧州ツアーの最終日にあたるが、この日このあとロ
ニー・スコットでのライヴ出演も控えていた。
ウェスとスタン・トレイシ・トリオとの共演は終始このロニー・スコットでのライヴであったが
故、収録にはロニーがMCとして起用された。
ロンドンにあるABC-TV局の "Tempo" という番組で "Boss Guitar-The Art of Wes Montgomery"
と題されていたが、ウェスにとっては有終の美を飾らしていただいたという気持ちであろう。
この音源は以前からカセット・テープでは聴いていたが、映像が残されていたとは誠に信じが
たく再生してみて奇抜なカメラアングルに、より一層驚いた。
パット・メセニーはライナー・ノーツの中で「このDVDのハイライトは最初と最後に観られる美
しいソロの〈West Coast Blues〉だね。とくに最後に観られるウェスの肩越しからのアングル
で彼の親指のすべてのテクニックが細部にまでわたり確認できたよ。ダウンストロークから時
折アップストロークを使う瞬間の映像がこの上なく貴重だよ。」と説明している。
確かにステージが階段状であったことが幸いしていたが、このウェスの親指の不思議さはギタ
リスのみならずカメラマンにまで興味を与えていたことになる、まさにナイスショット!!
ロニー・スコットでのライヴのほとんどをオープン・リールに収めたというレス・トムキンス
がその中から厳選しリリースしたCD盤《Body And Soul/RSJH Music JHAS604》の良さも当然音
源だけのことを考えれば、いかに今回の保管映像が貴重かつ【稀】であるか・・それが我々フ
ァンに素晴らしい遺産として残してくれていた事になった訳です。
では番組冒頭のアナウンサーとMCのロニー・スコットのコメントを紹介する。
・・・
アナウンサー:
「世界随一のジャズ・ギタリストと呼ばれてきた男、ウェス・モンゴメリのプレイです。
ご記憶かと思いますが、以前に放送した番組でイギリスのジャズ・プレイアー、ロニー・スコ
ットに世界を代表するテナーサクソフォン・プレイアー、ベン・ウェブスターを紹介して頂き
ました。ロニー・スコットは我が国をモダンジャズの最前線たらしめるのに最大の貢献をして
きました。このことについては彼の右にでるものは他に見あたらないのは確かな事ですが、そ
こで彼を再びスタジオに招き、ウェス・モンゴメリを紹介して頂いたという次第です。」
ロニー・スコット:
「ウェス・モンゴメリが世の評価を得るようになったのはここ3−4年の間のことでして、彼
が最高のギタリストであること、少なくともジャズ・ギタリストとして世界一であることは広
く世間も認めるところです。
一番驚くべきことは、私が思いますに、彼が全く専門学校に行かずに独学でギターを覚えたと
言う、完全な天性のミュージシャンであることです。
独学でもジャズがシンプルなものであった20-30年前ならごく普通のことでしたが、今の複雑な
ハーモニやリズムのありかたにおいては大変珍しい事と言えます。
それだけではなく、周囲の環境の制約の中で彼は極めて独自の演奏技術を磨き上げました。
つまり、鼈甲やプラスチックのピックを使って弾くといった圧倒的大多数のギタリストのやり
方に反して、右手の親指を使って弦を弾くようになった訳です。
ま、これ以外の話は後回しにするとして、ここでウェスに自身の作曲によるものを演奏しても
らいましょう。
ごく普通の 4/4拍子のリズムを 6/8拍子の上に重ね合わせた "部分" が含まれていることから
じつに明解にも彼はこの曲を〈Four On Six〉と称しました。
(訳注: 実はお馴染みの"JAZZ625"は既に映像で観られますが、この時の収録は2ステージ分が
おこなわれ、その内の1ステージ分は未発となっております。ただ音源だけが残されており、
そのMCが〈Four On Six〉の命名について「ウェスが 4/4拍子で弾き、ジミー・ラヴレイスは
6/8拍子でリズムを刻むことから、タイトルは〈Four On Six〉と付けられています」と説明し
ている。
ところが、何回聴き直しても "その部分" と言うのが見あたらない、と言いますか聞き分けら
れません。
別の日別の場所で2人の司会者が同じ説明、しかも片やミュージシャンであるロニーがこんな
間違いを説明するとは考えられませんが、何を持って発言しているのか・・考えられるひとつ
として、司会者がウェスから〈Four On Six〉を作曲する経緯の中でそのような変拍子を組み入
れたことがあったことに由来していると説明されてのことなのか、なんともミステリアスな司
会発言である。
さらに言及するならば、「ニュース速報 No35」で紹介したとおり、「曲名については、左手
4本の指で6本の弦を使いサラッと弾き流した感じから〈Four fingers on Six strings〉を略
して〈Four on Six〉と命名された」とのスティーブ・カーンの説明も説得力十分ではあるが、
いずれにしても真実は不明である。)
〈Four On Six〉
ロニー・スコット:
ピツクでなく親指を使って弾くようになった経緯をウェスは話してくれました。
それは次のような事情だったらしいのです。偉大なチャーリー・クリスチャンを生まれて初め
て聴いたとき・・その時ウェスは19歳ぐらいだったのですが・・すぐにギターとアンプを買っ
て練習を始めたのですが、普段はアンプの電源が入った状態で弾くのが当たり前だったようで
す。
ところがウェスの隣のアパートに住んでいた独身の叔母(訳注: 叔母だったという話は初めて聞
いた)がギターの音を大層迷惑がり、壁を隔てて罵りかえしてくるので、ウェスはピックの代わ
りに親指を使って弾けばかなり騒音が減ることに気が付いたそうです。
それで叔母の苦言も少なくなり一段落付きましたが、ただ、最初の出演契約が成立したときは
別の話です。
つまり、当時のウェスは面白いことにその気になればいつでも親指を止めてピックに持ち替え
られると思い込んでいたらしく、いざ持ち替えてみると弦の区別がつかなくなっていたといい
ます。
と言うわけで次の晩からは親指だけで弾くことにしたらしいです。それを節目にウェスはこの
奏法をじつに驚くほど向上させてきました。
・・さて、このファンタスティックかつ非常に個性的なテクニックをお目にかけましょう。
次の曲もウェスの自作で・・〈Full House〉です。
〈Full House〉
〈Here's That Rainy Day〉
ロニー・スコット:
ボサノヴァ・リズムの大変美しい曲〈Here's That Rainy Day〉でした・・我が国に訪問してい
る間にあらゆる一流のイギリス人ギタリストがウェス・モンゴメリの演奏を聴いて、その誰し
もが称賛しています。
皆が一様に目を見張らせたのは信じがたい才能のオクターヴ奏法による速くて複雑なフレーズ
は、シングル・ラインで弾く大半のギタリストのスピードを凌いでいます。
最後にお送りする曲となりますが、ウェスの演奏する曲をお聴きになればお分かりでしょう。
自分がジャズ・ギター界の頂点に立つ者であるとウェス・モンゴメリが断固として示してきた
ことに賛同すると思います。これもウェスの自作で・・〈Twisted Blues〉です。
〈Twisted Blues〉
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