アルバム名 : The Navy Swings/Billy Taylor Quartet With Joe Williams
アルバム番号: The Navy Swings program 51GH/52GH
リリース国 : U.S.A.
リリース年月: 1964
メディア : Transcriptions LP
Billy Taylor(p) *add: Joe Williams(vo) Wes Montgomery(g) Ben Tucker(b) Grady Tate(dr)
B'Cast, "The Navy Swings", N.Y.C.; Spring.1964
Capricious [1:59] program 51GH
I Won't Cry Anymore * [3:26] −
Body And Soul [2:16] −
S'posin' * [2:08] −
Paraphrase [1:53] program 52GH
All My Life * [3:10] −
Alone Together * [1:38] −
note: "Freedom (Theodora)" only Wes excluded.
前述のように、多くの疑問を解明できずに申し訳ないが、更に厄介なことがある。
その最たることは録音年月のことである。一般的に考えるとウェスがリヴァーサイドでのレコーディ
ングを終え、1964年になって10カ月の全国ロードに出かけた、あるいは出かける寸前に録ったもので
あろうと思われる。
このことはひとまず置いておいて、少し64年のジャズ界とウェスについて説明する。
1964年の新年を迎えてリヴァーサイドの経営不振は加速化するばかりで、実際ウェスにも仕事の話
がなかった。
というより事実上、今でいう自宅待機の状態が続き会社はこの年の中頃に倒産してしまった。
生活のためウェスはメル・ライン、ジョージ・ブラウンとトリオを組ん約10ヶ月の全国ロードに踏み
切った。
リヴァーサイドの倒産はジャズ界そのものの不振を象徴するものであり、次に紹介する記事はダウン
・ビート誌65年総合版の中から見つけた。
COLOR IT DULL AND SPELL IT HELP (冴えない色で塗って"HELP"と綴れ)
今日 (1964年当時) ジャズ界からみて "著名人" と呼ばれる人物であっても、ファンでも何でもな
い一般の人から言わせると "ただの人" である。
ウェスが出演した2ヶ所のクラブで起こったことがその事情を物語ってる。彼はお世辞でもなく真の
意味でのプロといえるミュージシャンであり、チャーリー・クリスチャン派のギタリストである。
世間の評価としては低い ジャズ界であっても彼はまさに "著名人" なのだ。
1961年に私は初めて "モンゴメリ・ブラザーズ "でのウェスを観たが、高い料金と一般の人のジャズ
離れというか無関心さがこの時の問題であった。
そこは数名のミュージシャンと精々十数名の関係者がいるだけだの今はもう閉まっているワシントン
の小さなジャズ・クラブだった。
ウェスは絶えず控えめででしゃばることなく賢明な人柄であったが、客入りの悪さについて答えてく
れた。
「我々のグループが "著名" ではないからさ。それだけのことだよ。」と答えたのですかさず、「だ
けど今じゃウェス・モンゴメリといえば有名人のひとりじゃないか。」と私は反論したが、「いや、
そんなことはない。」更に、「我々には一般の人が観にくるようなヒット曲がないんだよ。それに比
べコルトレーンはどう、<マイ・フェイヴァリット・シングス>を観にやってくるだろ。でも彼らの
観たいものはその1曲だけで、コルトレーンがレコードをだす以前は何の関心もなかった、いや少な
くとも観にいこうとは思わなかったと思うよ。」
その後、ウェスが世間的にその名を知られるようになってから私は再び彼のプレイを観に行った。
Wes Montgomery(g) Mel Rhyne(org) Georg Brown(dr)
Live at "Showboat", Washington, D.C.; Jan. 1964
I'll Remember April
Yesterday
Besame Mucho
Misty
ラウンジ "ショー・ボート" と彼は2週間の契約を交わしており、その出演がワシントン州の全新聞
広告に掲載されていたにも拘わらず客足は極めてまばらであった。
当時そこにはワシントンでは有名な専属トリオも出演していたというのにそのような状態だった。
その夜帰ろうと席を立とうとしたとき、音楽関係のビジネスに長年携わってきた才人マネージャ補佐
のマイク・ソントンが私にたった一言ある言葉を残した。それは "HELP(何とかしてくれ)" で
あった。
この言葉が1964年当時におけるジャズ界の不振を雄弁に語っていると感じた。
Down Bea 10th '65 Year Book
「ジャズ界の不振を雄弁に語っている。」正にレコードは売れない、ライヴは観に来ない、この原因
はアメリカの60年代といえばジャズに代わってポップスの勢いが、特にエルヴィス・プレスリの国
民的歌手の存在が大きく響いたのではなかろうか。
この後ウェスがジャズで生きていくため、ジャズ界も生き残るためヴァーヴの名プロデューサ、クリ
ード・テイラーが "ポップ・ジャズ" と名乗り「売れるんだ」とウェスに洗脳したのも必要不可欠な
とであった。