Analogy

 

寓話・格言・諺

馬 車 1

人間をひとつの馬車にたとえることができる。

車(荷車・客車)・馬・御者・主人という、

それぞれ独自の四つの体がつながれた、ともに働くひとつの馬車に…

だが、実際問題いったい誰が主人なのだろう?

 


新旧多くの体系の中にその痕跡が見られる古代のある教えによれば、
人間に可能なかぎりの発展をなしとげた人間、本当の意味での人間は、
四つの体から成り立っているという。







『奇跡を求めて』p73〜より▼

四つの体

 

四つの体は次のような物質で構成されている。
すなわち、しだいに微細になり、相互に融合し、
そして、ある明確な関係をもってはいるが独自の行動ができる
四つの独立した有機体を形成するような物質で。

四つの体は、教義体系によって様々に定義されている。

 

第1の体

第2の体

第3の体

第4の体

東洋のある教え

馬車(身体)

(感情、欲求)

御者(知性)

主人(私、意識、意志)

キリスト教

現世的、肉欲的肉体

自然体

霊的体

神的体

神智学

肉体

アストラル体

メンタル体

原因体


このような対応や類似点は、人間の中に肉体以上の何かを認めるほとんどの体系と教えの中に見られる。しかし、これらの教えのほとんどは、多かれ少なかれ同じような形で古代からの定義や区分をくり返しながらも、最も重要な特徴を忘れ、あるいは省いている。それは何かと言えば、人間は高次の体をもって生まれてくるのではないということ、つまりそれらは、内外ともに好ましい条件が存在する場合に限って人為的に育成できるということだ。

相応する機能

 

 

(pattern 1)

外的影響によって動く自動機械

自動機械によって

つくりだされる欲求

欲求から生じる

思考

欲求からつくりだされる相矛盾した<意志>

         ──────────────────>

(pattern 2)

知性に服従している

欲求と感情に従う体

思考と知性に従う

感情的な力と欲求

意識と意志に従う

思考機能

私 自我

意識 意志

         <──────────────────

 


 

『奇跡を求めて』p152〜より▼

(図表は一部要約を挿入)

連結

 

人間は四つの部分から成る複雑な組織だが、その四つはばらばらであるか、あるいはうまく連結していない。馬車は車軸でと連結し、は手綱で御者と結ばれ、御者は主人の声で主人と結ばれている。しかし、御者主人の声を聞いて 理解しなくてはならない。は操縦法を知っていなければならず、または手綱に従うよう訓練されていなくてはならない。馬車はしっかり馬具で結ばれていなくてはならない。したがってこの複雑な組織の四つの部分の間には三つの連結部があるわけだ。

 

連結部

馬車

車軸・馬具

手綱

御者

主人の声

主人


もし連結部の一つで何かが欠けていれば、組織は全体として活動できない。だから連結部は、実際の<本体>に比べて重要度が低いということではないのだ。自己修練にあたって、人間は<本体>と<連結部>へ同時に働きかける。しかし、それは違った仕事だ。


自己修練

 

自己修練は御者から始めなければならない。
御者とは知性だ。主人の声を聞くには、御者はまず第一に眠ってはならない、つまり起きていなければならない。そうすれば、御者には理解できない言語を主人が話していることに気づくだろう。御者はこの言語を習得しなければならない。そしてそれを習得したとき、主人を理解することができる。しかしこれと同時に、の操縦法や馬車のつなぎ方、えさのやり方、手入れ法、馬車の調整法等も習得しなければならない。もしが何もできないとしたら、主人を理解してもそれが何になろう。主人にあそそこへ行けと言う。しかしは動けない。というのもにはえさがやってないし、馬具はつないでないし、は手綱がどこにあるかも知らないからだ。は我々の感情だ。馬車は肉体だ。知性は感情をコントロールすることを習得しなければならない。感情は常に自分の後ろに肉体を引っぱっていこうとする。自己修練が必要なのはこの段階においてなのだ。しかしここでも<本体>への、つまり御者馬車への働きかけは一つのことだということに注目しなさい。<連結部>への働きかけ、すなわち御者主人と結びつける<御者の理解>、とを結びつける<手綱>、馬車を結びつける<車軸>と<馬具>への働きかけは全然別のことだ。

※コントロールとは抑圧ではなく、自由に操るわざと力

 

 

働きかけの活動優位

 

本体は全く調子がよいのに<連結部>が働かないということが時々ある。こんなとき、組織全体は何の役に立つだろう。こんな場合、ちょうど未発達の身体と同様(pattern 1参照)、組織全体は必然的に下位から、つまり主人の意志ではなく偶然によってコントロールされるのだ。

第1の体(馬車)

第2の体(馬)

二つの体をもった人間の中では、肉体に比べて第二の体が活動的だ。これはつまり<アストラル体>の中の意識が<肉体>を支配しているということだ。

 

 

第1の体(馬車)

第2の体(馬)

第3の体(御者)

三つの体をもつ人間の中では<アストラル体>と<肉体>とに対して、第三の体、すなわち<メンタル体>が活動的だ。これは<メンタル体>の中の意識が<アストラル体>と<肉体>を完全に支配しているということだ。 

 

 

第1の体(馬車)

第2の体(馬)

第3の体(御者)

第4の体(主人)

四つの体をもつ人間では活動的なのは第四の体だ。これは第四の体の意識が<メンタル体>、<アストラル体>、<肉体>を完全に支配しているということだ。(pattern 2参照)

 

 

見ての通り、四つの全く異なった状態が存在する。第一の場合はすべての機能は<肉体>にコント

第1の体(馬車)

第2の体(馬)

第3の体(御者)

第4の体(主人)

ロールされる。肉体は能動的で、それとの関係から見ると他の全ては受動的だ。


我々は以前に、肉体だけの人間の内では彼の諸機能の間に全く同じ序列が成り立ちうることを見た。すなわち、肉体機能は感情、思考、意識ををコントロールすることができ、
       感情は肉体機能をコントロールでき、
            思考は肉体機能と感情をコントロールでき、
       意識は肉体機能、感情、思考をコントロールできるのだ。

二つ、三つ、そして四つの体をもつ人間の中では、もっとも活動的な体はまた最も長く生きる。つまり、それは下位の体との関係から見れば<不死>なのだ。

 

 

 

『グルジェフ・弟子たちに語る』p302より▼
馬車の言葉は用いられていないが主旨的補足
(図表は原文にはなく要約補足としての仮挿入)

 

能動(陽)・受動(陰)・中和

 

すでに言ったように、人間の第二の体は、肉体に対しては魂である。第三(?第二?)の体もそれ自体三つの原則に分割されるが、全体としては能動的な力を表し、受動的で陰性の原則である肉体に

第1の体

特殊な磁気

第2の体

対して、陽性の原則となる。その間の中和的原則 は特殊な磁気であり、それは誰もが持っているわけではないが、それがないと、第二の体は第一の体の主人であり得ない。

さらに発達することができる。

二つの体を持つ人は、新しい成分の結晶化によって、さらに新しい特性を獲得できる。そうなると、第

第1の体

特殊な磁気

  第3の体   

第2の体 

 三の体が第二の中に形成され、この体はときとして精神体(メンタル・ボディ)と呼ばれる。そうなると第三の体は能動的原則であり、第二の体は中和的、第一の体である肉体は受動的原則である。        


しかし、真の意味では、これはまだ魂ではない。肉体が死ぬと、星気(アストラル)体も死んで、精神体だけが残る。精神体はある意味では不滅であるが、それも早晩死ぬ。

第四の体だけが、人間にとって可能なすべての発達を、地上における存在条件の中で完成させる。
第四の体は太陽系の範囲内では不滅である。真の意志はこの体に属する。それは真の「私」、つまり人の魂、主人である。それは他の体を全部一緒にしたものに対する、能動的原則である。

 

 

**********


三の法則」を織り交ぜての展開となっているが、
記録者(また翻訳者)の理解の範囲内での説明となっているため、詳細が不鮮明な箇所が多い。
モデル図表として考えるとき、2番目のメンタル体との関係はウスペンスキーの記述と合わせ、
「特殊な磁気」とは「連結部」として重ね合わせるとすると、下図 a のような関係が想定できる。
しかし、「第二の体」が「中和的」、「第一の体」が「受動的」というのに重点をおくと、
下図 b,c,d のような3パターンが考えられる。

a

b
c
d
e
     
第1の体 特殊な磁気1 第2の体 特殊な磁気2 第3の体


個人的な感覚と考えからすると、パターンe が一番近いだろうか。(よくはわからないが…)
「磁気」という特性を考え合わせる時、「鉄」と「磁石」との関係性と類似した法則が浮かぷ。
天体間での「引力」のようなものとして考えるなら、月(1.衛星)・地球(2.惑星)・太陽(3.恒星)
の関係性の中に類似したものを見てとれるようにも思える。



ところが、ウスペンスキーの続く説明
(『奇跡〜』p156)によると、グルジェフは次のような関係を示している。

 

地球 全惑星 太陽 全太陽 全宇宙 <絶対>
  第1の体 第2の体 第3の体 第4の体    
  肉体 アストラル体 メンタル体 (原因体)    
  48法則 24法則 12法則 6法則 (3) (1)

 

この関係性から見てとるなら、惑星間の「引力」を単純にスライドさせて考えることはできないようだ。
惑星の放つ「光彩による影響力」としても説明されている。
(『弟子〜』P366 )

⇒Dr.ドーリルの『星化学分析』参照

 



現時点で仮に、これらの図をもう少し展開させると次のようになるのかもしれない。
天体間の「引力」を、そのままスライド式に当てはめることができないのは、
その「大きさ」の相互関係からも言え、より微細な物質が、より活性化されたものとして陽力を発揮しそうだ。

 

第一の体(地球)

磁気

第二の体(全惑星)

磁気

第三の体(太陽)

磁気

第四の体

6=3+3

 じき

12=3+6+3

 じき

24=3+6+12+3

じき

48=3+6+12+24+3

 

「法則の数」が多くなるほど「機械的」なものとなり、「絶対の意志」は届かないものになるという──

とにかく、数字を扱うときはアナロジーとは違い、その前提とするものの定義なしの展開は危険だ。
そういった数的法則性は別のページに譲ることとし、もう少しアナロジーとして見てみよう。

 


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