癒しのシッキム(タシデン・ゴンパへ)
早朝5時に起床。こんなに早く起きたのは、久しぶりだった。
チベットのラサ以来だろうか?
睡眠時間は、3時間ほどだが、ネパールでは、眠れないまま朝を迎えることが、何度かあったが、ゴンパへ行くために早起きしたのは、ほんと、ラサ以来のことだ。
まだ夜が明け切らない中、スノーランドの下で、tinaさんと待ち合わせをして、ゴンパへ行ったことが、つい昨日のことのように、思い出したが、やっぱ懐かしい。
ヨクスムの数少ない、売店兼食堂も午前5時を過ぎると、入口の板戸を外し、開店準備に取りかかっている。
「こんなに早い時間から、開けていたのか!」と、かなり驚いたが、ヨクスム発のジープが、だいたい、午前6時から7時の間に集中しているので、納得。
俺は、ちょっと急ぎながら、コーヒーを飲んで、準備を済まし、5時半には、ヤク・レストランの前にいた。
どうやら出発時間は、6時のようだが、宿のオバチャンが、俺が遅刻をしないように、わざわざ30分早い時間を昨日、俺に言ったのだった。
俺は、ヤク・レストランで、結局30分、時間を潰さなくならなければなり、チャイを飲みながら、出発の時間を待っていた。
そしてジープは、だいたい6時くらいに、タシデン村へ向けて出発した。
同乗者の中には、ペリンで一緒だった、ヨーロッパ人カップルもいた。
上:タシデン・ゴンパへ向かう途中 下:タシデン・ゴンパ
ヨクスムからタシデン・ゴンパがある、タシデン村には、1時間もかからずに到着した。
道中、滝が多く、瑞々しい、気持ちの良いドライブだった。
俺は、ヨーロッパ人カップルと3人で、タシデン・ゴンパへ向かって歩き出した。
森の中のチベットへの玄関口のように、古そうな、チョルテンやマニ塚がある。
チベット本土では、人里離れた、荒涼とした大地にゴンパが建っていた。
カトマンドゥでは、郊外というか、町外れにゴンパがあった。
そしてシッキムは、森の中にゴンパが建っている。
石が敷き詰められた、道を歩くが、雨露や苔のため、足下が滑る。
ヨーロッパ人カップルは、体のバランスが非常に悪く、滑り、尻餅を付く回数が多すぎる。
「あんたら滑りすぎ」と思いながらも、カップルのペースに合わせながら、ゆっくりと山道を登った。
そして、ダシデン・ゴンパに到着した。
お堂が3つあるゴンパだ。
お堂の周りのマニ車を回し、最後にデッカイ、マニ車を回して、本堂へ行くが、扉には、鍵がかかっていたので、扉の横にある階段から2階へ。
2階は、講堂のようになっていた。3人は、壁に描かれている絵を見たり、天井に描かれている、曼陀羅を見たりしていると、部屋の片隅で、読経をしている僧侶がいたので、「お堂の鍵は?」チベット語で話しかけたが、返ってきた言葉が、俺には理解出来ずに、お堂に入るのを諦めて、建物の外へ出て、ブラブラと歩いていた。
チョルテンの周りには、マニ石やタルチョがたくさん。
先へ進むと、数え切れないほどのおびただしい数のタルチョが、所狭しと立っている。
色とりどりのタルチョに囲まれるように、そこにはチョルテンが、数基建っていた。
チョルテンが立ち並んでいる敷地の石壁には、オム・マニ・ペメ・フムと刻まれた、マニ石が、ビッシリと貼られている。
タルチョ、チョルテン、マニ石と、かなり圧巻な光景だ。
ネパールのゴンパでは、見ることがなかった、久しぶりの荒々しい光景に、来て良かったと、俺は素直に喜んで、そして、写真をたくさん撮った。
子供僧侶が集まっている小屋があったので、外にいた小坊主に「鍵は?」と聞くと、鍵を持っている、青年僧侶が、3つある内の一つのお堂の扉を開けてくれた。
俺と、子供僧侶数人が、お堂に入った。
祭壇の水を取り替えるのは、子供僧侶の仕事らしく、遊びながらやっているのか、楽しそうだ。
特に何かあるお堂ではなく、ただ単に、子供僧侶に付いていったような感じで、お堂を出た。
俺が、タシデン・ゴンパでお堂に入ったのは、ここだけだった。
そして、再びチョルテンの方へ行き、一周したあと、タシデン・ゴンパを後にして、下山した。
タシデン村に戻ってきたのはいいが、時間が早すぎる。
俺達が乗ったジープが、再びここを通るのが、早くて午後1時半だと言っていたので、あと3時間もある。
とりあえず、汗ビッショリなので、冷たいジュースを飲み、ヨクスムよりも店が多い、タシデン村の食堂で、玉子チョウミン(25Rs)を食べた。
今日は、朝から何も食べていなかったので、とてもお腹が空いていました。
ヨクスムほぼ全景(中央に見えるのが、ゴンパ)
俺とヨーロッパ人カップルの3人で、ジープ乗り場近くの売店で、ボケッとしていると、来たときとは違うジープがやって来て、ヨクスムへ行くと言うことなので、このジープに乗ってヨクスムへ戻った。
ヨクスムに着いたのが、11時半頃だった。
早速、シャワーを浴びるが、水温は、限りなく水に近くて、こんなんじゃ風邪を引いてしまいそうなので、シャワーを浴びるのを辞めて、部屋でウダウダと過ごしていたら、あっと言う間に2時間も経っていた。
部屋にいるのもなんやし、外へ出て散歩。
ここから見えるゴンパへ行って、ノルブカンへ行って、畑の道を歩く、これは俺がヨクスム最初の日に歩いたコースで、この道を歩いているのが、本当に気持ちが良かった。
そして戻ってきて、チャイを飲む。
明日は、ナヤ・バザールへ行って、そこから、ダージリンへ行こうと思っている。
俺のシッキム州滞在は、2週間ほどだったが、シッキムは、本当に素敵な所でした。
人々に癒され、自然に癒され、心落ち着かせてくれた所だった。
またこんな風に旅が出来るなんて、思ってなかった。
シッキム最後の夕食は、トゥクパとモモ。
トゥクパは、なんか伸びた牛肉面って感じで、モモは、皮が厚くて、ラサのモモみたいだった。
どっちも、美味しいとは思わなかったが、無理して食べた。
夜、突然の大雨と停電。
明日は、大丈夫だろうか?
霧の街、ダージリン
今日は、二日続けての早起きで、午前4時半起きだ。
午前5時半、荷物を持って、昨日と同じように、ヤク・レストランの前へ行くが、僕のリュックは、相変わらず重たいです。何で?こんなに重いんやろ?
小さなスピーカーに、CDが20枚ほど、そして、コンタクトの液など、余計な物が多いからだろう。
僕は、チャイを飲みながら、空を見上げた。
今朝のヨクスムの空が、あまりも澄んでいて、キレイだったので、写真を一枚、撮った。
そして午前6時15分に、僕を乗せたジープは、ジョレタン(Jorethang)〈ナヤ・バザールNaya Bazaar〉へ向けて、出発した。
ありがとう!シッキム。人々は親切で、自然が豊かで、ほんまに癒されましたし、食もチベット料理がネパールよりも洗練されていて、美味しかった。
シッキム行きは、ネパールを出る最後まで、悩んでいたが、行って良かったです。
ガントクで、ko君と再会し、ビールを飲みまくったのも良い想い出です。
ジョレタン(ナヤ・バザール)には、午前9時前に着いた。
ここでダージリン行きのジープに乗り換えです。
ジープの出発までに、20分ほど時間があったので、ジープ乗り場の近くの食堂で、トゥクパを食べ、そして、酒屋でジン(750ml)を1本買ってしまった。
シッキム州を出ると、なかなか酒を買えないと思っていたので、買ってしまった。
もうここまで来ると、酒好きを通り越して、アル中へ一直線です。ヤバイ!
どうせジープに乗っているだけだが、これでまた、荷物が重くなってしまった。
ダージリンのジープ乗り場
ジープ内は、座席が3列あった。
前列は、ドライバーを含め、4人。中列、後列も4人で、計12人乗っていた。
さらに、荷物も積まれているため、車内は、ギュウギュウ詰めで、とても狭く、身動きがままならない。
ジョレタンのチェック・ポストで外国人の俺だけ、パスポートにスタンプを押してもらいに行くときなんか、窓側に座っていたので、ドアまで行けずに、ジープの窓から出入りしていた。
ジープは、曲がりくねった山道を標高を上げながら、走っている。
これから行く、ダージリン(Darjeeling)は、標高2,100mの街。すっかり暑さに弱くなった僕には、もってこいの高さだ。
車窓から見える風景は、一面の茶畑が広がっている。
ダージリンは、紅茶の産地として有名な所で、イギリスに割譲されるまでは、シッキム領だった所です。
イギリス領となってからは、彼等の避暑地となっていました。
そのためダージリンは、シッキム州ではなく、WEST BENGAL(西ベンガル)に属している。
山道を走っている間は、天気が良く、快晴だったが、ダージリンの街に近づくにつれて、霧が発生し、濃くなってきた。ダージリンは、霧が多いと聞いていたが、これほどまで、霧が多いとは、予想外だった。
ダージリンの街は、なんとなくガントクに似ている気もしたが、ガントクよりもゴチャゴチャしていると思ったのが、このダージリンの第一印象だった。
左:霧に包まれた、街の時計塔
右:山道を歩いているときに出会った少女達
ジープを降りた僕は、リュックを背負い、宿探しへ。
瓶のジンが入ったおかげで、リュックは、重くなり、それが堪えた。
通りには、紅茶専門店が多い。さすが、本場だ。
郵便局近くには、安宿が多いらしいので、人に道を尋ねながら、郵便局前に着いたが、ガントク同様、坂道が多くて、重い荷物を背負って歩くのが、しんどい。
1軒目の宿へ行くが、ただいまオフ・シーズンのため、閉まっていたので、再び、坂道を上ったり、下ったりしながら、2軒目の宿へ行くが、部屋がボロイので、やめて、3軒目の宿『POGODA HOTEL』に決定。
1泊=100Rsで、トイレ付き、ベッドも2つある。
シャワーはなく、スタッフに言うと、バケツに入ったお湯を持ってきてくれる。
早速、マーケットへ行き、色々と物色。
どこも活気が溢れていて、見ていて楽しいので、久しぶりに屋台で立ち食い。
インド風クレープとでも言うんでしょうか?甘い物じゃないが、生地に具を入れて巻いて食べる物や、小さな揚げ物など、いやーウマイ。
そして売店では、朝食用のラスクとマンゴージャム、バナナを買った。
チョウラスタ(広場)近くで、紅茶(もちろんダージリンティー)も買ったので、明日から、毎朝のコーヒーを紅茶に変えてみようと思っている。
ブティア・バスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Monastery)
それにしても、ダージリンは、霧が多い。
街全体が、霧に包まれている時もある。
この霧が、いったいどこから発生するのか、知らないが、この霧が、世界最高の紅茶、ダージリン・ティーの香りを演出しているらしい。
翌日に、昼過ぎに、ブティア・ブスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Monastery)ゴンパ(寺院)へ行ったときも霧だった。
この日は、朝からずっと霧に包まれていて、重苦しい天気だったが、霧の中に、うっすらと建物が見える、霧に包まれたゴンパが、とても幻想的に見えた。
この時ばかりは、霧もなかなかで、悪くはないなと思ったし、オフ・シーズンならではの風景だ。
ゴンパの次には、チベット難民センターへと足を伸した。
僧侶に教えたもらった道を歩くが、完全に山道を歩いているし、霧のため、視界が悪すぎる。
今、自分が何処を歩いているのかさえ、分からなくなり、かなり焦ったが、運良く、地元民に出会い、なんとかチベット難民センターへとたどり着いた。
左:ダージリンの茶畑 右:チベット難民センターにて
チベット難民センターは、1959年に設立されたとガイドブックに書いてあった。
運動場とコンクリートの建物があり、まるで日本の学校のような雰囲気だった。
外の運動場では、子供達が、ゴム飛びなどをして、遊んでいる。
お土産屋のような所では、若い人達が、店番をしたり、話したりしている。
別の建物では、年老いた女性達が、ヤクの毛を使って、絨毯を作っていた。
もっとここで、色々と話しを聞きたかったが、俺の語学力じゃ、あまり会話にならなかった。
ただ、サキャから亡命してきた老婆が、俺のガイドブックに載っていた、サキャ・ゴンパの写真を見て、とても懐かしそうに見ていたのが印象的だった。
ガイドブックには、食堂があると書いてあったが、食堂はなく、売店があっただけだった。
チベット難民センターを後にして、雨と霧の中、汗だくになって、チョウラスタに戻ってきた。
そして、本屋の隣に酒屋を発見。
これで、ダージリンでは、酒には困らない。
今夜の夕食は、チベット系食堂で、豚肉のあんかけと白飯を食べた。