ふるさと苓北町の歴史

ふるさと苓北町を後にして半世紀が過ぎてしまった。

水産高校を出て広島を皮切りに、山陽道筋・四国・北海道・関西と色んな所に住んだが

苓北町を忘れることはなかった様な気がする。

いつでも帰れると、そう思っていた。

苓北町は、私の人生の起点である

現在、私は西宮市の山の手に住んでいる。

冬場になると、マンションの、山茶花の生垣にメジロがやってくる。

それを見るにつけ、幼いころ城山にメジロ取りに行ったことを思い出す。

また、たまには芦屋浜の岸壁に魚釣りに行くが、中々釣れない。

そんな時、富岡の遠浅の先端でキスを投げ釣りでよく釣った事を

懐かしんでいる自分がいる。

室生犀星は、ふるさとは帰るところではない、と言いながら続けて

遠き都の夕暮れに、故郷思い涙ぐむ、その心持て、と言っている。

啄木は、かにかくに、と故郷を詠っている。

啄木風にすれば、

かにかくに   苓北町は  恋しかり

  思い出の山  思い出の海  となるのだろうか。

ふるさと 苓北町が益々発展し、永遠なることを祈るだけである。











































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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